一問一答クイズ [No.13347]
ヨーロッパ王国検定 より
ヨーロッパの王国の歴史に関する問題。
次のうち、金印勅書に定められた七選帝侯でないのはどれでしょう。
ベーメン(ボヘミア)
マインツ
ハノーヴァー
トリーア
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作成者
AEIOU (ID:1571)
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予習・復習/一問一答クイズ
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戦争王の異名を持ち、ナルヴァの戦いで勝利したが、ポルタヴァの戦いで北欧の覇権を失った北方戦争(1700〜1721年)のときのスウェーデン王で、ヴォルテールに「かつて此の世に生を享けた人間のうち、恐らく最も異常な性格の持ち主」と評価されたのは誰でしょう。
選択肢:①カール12世、②ヤン3世、③ピョートル1世、④グスタフ2世
王朝名が修道院長の外套に由来するフランス最長の王朝は次のうちどれでしょう?
選択肢:①トリーア、②プランタジネット朝、③カペー朝、④ヴァロア朝
カノッサの屈辱の時の神聖ローマ皇帝はだれでしょう。
選択肢:①オットー1世、②フリードリヒ3世、③ハインリヒ4世、④ブルボン朝
マキャベリの「君主論」でも絶賛された、カトリック両王のうちの一人のアラゴン王で、トルデシリャス条約の締結や異端審問の開始をしたのは誰でしょう。
選択肢:①レオポルト1世、②ニコライ2世、③フェルディナント2世、④フェルナンド2世
モスクワ公国のイヴァン1世のあだ名は「イヴァン・カリタ」ですが、カリタとは何を意味するでしょう?
選択肢:①フェリペ2世、②雷、③銭袋、④賢人
オーストリアのマリア・テレジアとヨーゼフ2世のもとで外交革命を主導、ポーランド分割にも参加した宰相は誰でしょう。
選択肢:①カウニッツ、②東ローマ皇帝、③カヴール、④ビスマルク
ヘンリー8世の子で、「王子と乞食」の主役にもなっている、一般祈祷書が制定されたときのイギリス王は誰でしょう。
選択肢:①リチャード3世、②チャールズ1世、③エドワード6世、④メアリ1世
次の王と王朝の組み合わせで間違っているのはどれでしょう。
選択肢:①オットー1世→ザクセン朝、②イヴァン4世→ロマノフ朝、③ウィリアム1世→ノルマン朝、④メアリ1世→テューダー朝
カルマル同盟を主導したマルグレーテからみたエーリク7世との関係として正しいものはどれでしょう。
選択肢:①甥、②夫、③メッテルニヒ、④姉の孫
ナポレオン3世の本名と、ナポレオン1世からみたナポレオン3世の関係は次のうちどれでしょう。
選択肢:①従兄弟、②(本名)シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト (関係)甥、③(本名)フランソワ=ナポレオン・ボナパルト(関係)甥、④(本名)ユーグ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫
次のうち、ルドルフ2世から王位を簒奪したのは誰でしょう。
選択肢:①マティアス、②オタカル、③フェルディナント、④マルティネス
ヴィクトリア女王の孫でないのは誰か?
選択肢:①ニコライ2世(ロシア皇帝)、②ヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)、③ウィルヘルミナ(オランダ女王)、④ジョージ5世(イギリス国王)
次のA、Cにあてはまる都市名と、Bにあてはまる国王を答えよ。ポーランドのピアスト朝はボレスワフ1世の時代に、当時の首都(A)の郊外のグニェズノに大司教座を置き、神聖ローマ皇帝からポーランド国王の地位を認められた。14世紀の大半に国王として君臨したこの王朝最後の王(B)は、領土拡大・王権強化・(C)大学(ヤゲヴォ大学)設立などでポーランドを強国に発展させ、大王と呼ばれた。
選択肢:①A.クラクフ B.カジミェシュ3世 C.ポズナニ、②A.ポズナニ B.カジミェシュ3世 C.クラクフ、③A.ポズナニ B.ミエシュコ1世 C.クラクフ、④(本名)ルイ・フィリップ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫
フランスにおけるブルボン朝最後の王は誰か
選択肢:①シャルル10世、②アンリ11世、③ルイ・フィリップ、④ルイ18世