一問一答クイズ [No.13349]
ヨーロッパ王国検定 より
ヨーロッパの王国の歴史に関する問題。
カルマル同盟を主導したマルグレーテからみたエーリク7世との関係として正しいものはどれでしょう。
従兄弟
姉の孫
甥
夫
制限時間 : 無制限
難易度
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1050人中
正解数
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作成者
AEIOU (ID:1571)
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予習・復習/一問一答クイズ
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戦争王の異名を持ち、ナルヴァの戦いで勝利したが、ポルタヴァの戦いで北欧の覇権を失った北方戦争(1700〜1721年)のときのスウェーデン王で、ヴォルテールに「かつて此の世に生を享けた人間のうち、恐らく最も異常な性格の持ち主」と評価されたのは誰でしょう。
選択肢:①グスタフ2世、②カール12世、③ヤン3世、④従兄弟
王朝名が修道院長の外套に由来するフランス最長の王朝は次のうちどれでしょう?
選択肢:①ヴァロア朝、②カペー朝、③ピョートル1世、④プランタジネット朝
カノッサの屈辱の時の神聖ローマ皇帝はだれでしょう。
選択肢:①レオポルト1世、②フリードリヒ3世、③オットー1世、④ブルボン朝
マキャベリの「君主論」でも絶賛された、カトリック両王のうちの一人のアラゴン王で、トルデシリャス条約の締結や異端審問の開始をしたのは誰でしょう。
選択肢:①フェルディナント2世、②ハインリヒ4世、③フェリペ2世、④フェルナンド2世
モスクワ公国のイヴァン1世のあだ名は「イヴァン・カリタ」ですが、カリタとは何を意味するでしょう?
選択肢:①賢人、②雷、③東ローマ皇帝、④ニコライ2世
オーストリアのマリア・テレジアとヨーゼフ2世のもとで外交革命を主導、ポーランド分割にも参加した宰相は誰でしょう。
選択肢:①カヴール、②ビスマルク、③メッテルニヒ、④カウニッツ
ヘンリー8世の子で、「王子と乞食」の主役にもなっている、一般祈祷書が制定されたときのイギリス王は誰でしょう。
選択肢:①メアリ1世、②銭袋、③リチャード3世、④チャールズ1世
次のうち、金印勅書に定められた七選帝侯でないのはどれでしょう。
選択肢:①マインツ、②ベーメン(ボヘミア)、③エドワード6世、④トリーア
次の王と王朝の組み合わせで間違っているのはどれでしょう。
選択肢:①ハノーヴァー、②オットー1世→ザクセン朝、③イヴァン4世→ロマノフ朝、④ウィリアム1世→ノルマン朝
ナポレオン3世の本名と、ナポレオン1世からみたナポレオン3世の関係は次のうちどれでしょう。
選択肢:①(本名)シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト (関係)甥、②(本名)ルイ・フィリップ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫、③(本名)ユーグ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫、④(本名)フランソワ=ナポレオン・ボナパルト(関係)甥
次のうち、ルドルフ2世から王位を簒奪したのは誰でしょう。
選択肢:①マルティネス、②オタカル、③マティアス、④メアリ1世→テューダー朝
ヴィクトリア女王の孫でないのは誰か?
選択肢:①ヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)、②ニコライ2世(ロシア皇帝)、③ジョージ5世(イギリス国王)、④フェルディナント
次のA、Cにあてはまる都市名と、Bにあてはまる国王を答えよ。ポーランドのピアスト朝はボレスワフ1世の時代に、当時の首都(A)の郊外のグニェズノに大司教座を置き、神聖ローマ皇帝からポーランド国王の地位を認められた。14世紀の大半に国王として君臨したこの王朝最後の王(B)は、領土拡大・王権強化・(C)大学(ヤゲヴォ大学)設立などでポーランドを強国に発展させ、大王と呼ばれた。
選択肢:①A.ポズナニ B.カジミェシュ3世 C.クラクフ、②A.クラクフ B.カジミェシュ3世 C.ポズナニ、③ウィルヘルミナ(オランダ女王)、④A.クラクフ B.ミエシュコ1世 C.ポズナニ
フランスにおけるブルボン朝最後の王は誰か
選択肢:①ルイ・フィリップ、②A.ポズナニ B.ミエシュコ1世 C.クラクフ、③アンリ11世、④ルイ18世