江戸時代五街道宿場検定 | |||
江戸時代の五街道の宿場を出すので次のがどの街道なのかと後半その宿場が何番目なのかを出します | |||
難易度 | |||
合格点 | 3問正解/5問中 上級:8問正解/10問中 | ||
制限時間 | 5分以内 | ||
クイズ登録数 | 全587問 | ||
受験者数 | 405人 | ||
合格者数 | 264人 | ||
合格率 | 65.19% | ||
作成者 | カイバー (ID:2122) |
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正解:③
正解:③
正解:②
正解:③
正解:④
正解:②
正解:④
正解:④
正解:①
正解:②
正解:②
正解:④
正解:④
正解:②
正解:④
正解:④
正解:③
正解:③
正解:③
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正解:①
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正解:①
正解:①
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正解:④
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正解:④
正解:①
正解:③
正解:②
正解:③
正解:④
正解:④
正解:④
正解:④
正解:②
正解:①
正解:①
正解:④
正解:③
解説:現在の国道1号も東海道五十七次のルートをルーツとしています。
正解:①
解説:京橋は東海道から大坂城への入口にあたり、高麗橋は大坂の商業の中心でした。
正解:①
解説:江戸幕府の道中奉行が発行した東海道分間延絵図や東海道宿村大概帳に両方のルートが記載されています。
正解:②
解説:東海道五十七次と国道1号は、いずれも起点が江戸(東京)の日本橋、終点が大坂(大阪)です。
正解:④
解説:大坂から大津へ向かう道は、途中までは京都へ向かう道でもあるので、京街道と呼ばれました。
正解:②
解説:東海道五十七次、国道1号、京阪本線は、淀川の左岸を通っています。
正解:①
解説:髭茶屋追分(大津追分、山科追分とも呼ぶ)で京都方面と大坂方面に分岐しました。
正解:④
解説:大津宿(滋賀県)を過ぎたところで分岐します。右が京都方面、左が大坂方面です。
正解:③
解説:伏見城(桃山城)、伏見稲荷などで有名な地名ですが、東海道の宿場町でもありました。
正解:④
解説:淀城や京都競馬場などで有名な地名ですが、東海道の宿場町でもありました。
正解:③
解説:江戸時代の旅籠の鍵屋が、現在は市立枚方宿鍵屋資料館となっています。
正解:①
解説:現在(2020年)も守口市の隣が大阪市です。
正解:①
解説:ちなみに東海道五十三次は、起点の江戸日本橋と終点の京都の途中に53個の宿場があります。
正解:②
解説:東海道五十七次の57個の宿場を数えるときの1番目が品川宿です。新橋や横浜はJR東海道線の駅ですが、東海道の宿場ではありません。
正解:④
解説:明治18年から大正9年まで、国道1号は東京日本橋―横浜、国道2号が東京日本橋―大阪でした。
正解:①
解説:道中奉行は、五街道(東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中)とその付属街道(佐屋路、美濃路など)を管轄していました。
正解:③
解説:東海道分間延絵図は、寛政年間?文化年間に調査を行い、文化3年(1806年)に完成しました。
正解:④
解説:約538kmです。
正解:③
解説:現在も、守口市駅の近くに、文禄堤の跡が残っています。
正解:④
解説:多くの歴史資料では通称の「宮宿」が使われていますが、江戸幕府道中奉行が作った東海道分間延絵図や東海道宿村大概帳などでは「熱田宿」と記載されています。
江戸時代五街道宿場検定 のランキング [ ベスト20位 ] | ||||||
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順位 | ユーザー名 | 回答(問) | 正解(問) | 経過タイム | 合否 | コメント |
1 位 | てっつん | 10 | 10 | 00:01:05 | ||
2 位 | 鉄馬君 | 10 | 10 | 00:01:37 | ||
3 位 | かずひろ | 10 | 7 | 00:01:33 | ||
4 位 | のっぴー | 10 | 4 | 00:00:46 | ||
5 位 | ken610 | 5 | 4 | 00:03:01 |