一問一答クイズ [No.46741] | |
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東海道五十七次検定 より 江戸時代の東海道五十七次(江戸?大坂)に関する検定です。 | |
東海道五十七次で、大津―大坂方面の区間の別名は? | |
制限時間 : 無制限 | |
難易度 | |
出題数 | 72人中 |
正解数 | 62人 |
正解率 | 86.11% |
作成者 | かずひろ (ID:19670) |
最高連続正解数 | 0 問 |
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正解:④
解説:現在の国道1号も東海道五十七次のルートをルーツとしています。
正解:②
解説:京橋は東海道から大坂城への入口にあたり、高麗橋は大坂の商業の中心でした。
正解:①
解説:江戸幕府の道中奉行が発行した東海道分間延絵図や東海道宿村大概帳に両方のルートが記載されています。
正解:②
解説:東海道五十七次と国道1号は、いずれも起点が江戸(東京)の日本橋、終点が大坂(大阪)です。
正解:①
解説:東海道五十七次、国道1号、京阪本線は、淀川の左岸を通っています。
正解:④
解説:髭茶屋追分(大津追分、山科追分とも呼ぶ)で京都方面と大坂方面に分岐しました。
正解:④
解説:大津宿(滋賀県)を過ぎたところで分岐します。右が京都方面、左が大坂方面です。
正解:④
解説:伏見城(桃山城)、伏見稲荷などで有名な地名ですが、東海道の宿場町でもありました。
正解:淀宿
解説:淀城や京都競馬場などで有名な地名ですが、東海道の宿場町でもありました。
正解:①
解説:江戸時代の旅籠の鍵屋が、現在は市立枚方宿鍵屋資料館となっています。
正解:①
解説:現在(2020年)も守口市の隣が大阪市です。
正解:起点の江戸日本橋と終点の大坂の途中に57個の宿場がある
解説:ちなみに東海道五十三次は、起点の江戸日本橋と終点の京都の途中に53個の宿場があります。
正解:①
解説:東海道五十七次の57個の宿場を数えるときの1番目が品川宿です。新橋や横浜はJR東海道線の駅ですが、東海道の宿場ではありません。
正解:国道2号
解説:明治18年から大正9年まで、国道1号は東京日本橋―横浜、国道2号が東京日本橋―大阪でした。
正解:①
解説:道中奉行は、五街道(東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中)とその付属街道(佐屋路、美濃路など)を管轄していました。
正解:11代 徳川家斉
解説:東海道分間延絵図は、寛政年間?文化年間に調査を行い、文化3年(1806年)に完成しました。
正解:③
解説:約538kmです。
正解:③
解説:現在も、守口市駅の近くに、文禄堤の跡が残っています。
正解:②
解説:多くの歴史資料では通称の「宮宿」が使われていますが、江戸幕府道中奉行が作った東海道分間延絵図や東海道宿村大概帳などでは「熱田宿」と記載されています。
正解:江戸日本橋
解説:東海道起点の日本橋を含む江戸中心部は描かれておらず、絵図は高輪大木戸付近から始まり、57個の宿場を経て、大坂まで続いています。
正解:歴史の道 東海道宿駅会議
解説:大阪府の枚方宿や守口宿も参加して活動しています。
正解:3駅
正解:④
正解:④
正解:①
正解:②
正解:松本市
正解:②
正解:①
正解:②
正解:①
正解:④
正解:③
正解:④
正解:②
解説:黒岩祐治氏は神奈川県知事、 落合克宏氏は平塚市長、 鈴木恒夫氏は藤沢市長です。