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 一問一答クイズ [No.12929]
  昭和の歌謡曲問題!! より  昭和の歌謡曲からの問題、歌ってる歌手名は?
問題 『三年目の浮気』というタイトルの曲を歌っていた人物は誰でしょう?
  1. 山口百恵
  2. ロス・インディオス&シルビア
  3. ザ・ピーナッツ
  4. ヒロシ&キーボー
   
制限時間 : 無制限
難易度 初級
出題数 420人中
正解数 343人
正解率 81.67%正解率
作成者 勉強ロボ (ID:13276)
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①郷ひろみ
②城ミチル
③野口五郎
④西城秀樹
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正解:①

①ザ・ピーナッツ
②ペトロ&カプリシャス
③ガロ
④アリス
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正解:③

①長渕剛
②清水健太郎
③安全地帯
④フォーリーブス
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正解:①

①西城秀樹
②アリス
③郷ひろみ
④沢田研二
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正解:野口五郎

①西城秀樹
②郷ひろみ
③沢田研二
④野口五郎
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正解:③

①野口五郎
②浅野ゆう子
③あべ静江
④伊藤咲子
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正解:②

①石川さゆり
②山口百恵
③西崎みどり
④森昌子
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正解:③

①松田聖子
②林寛子
③太田裕美
④山口百恵
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正解:④

①小坂明子
②浅田美代子
③和田アキ子
④由紀さおり
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正解:②

①中森明菜
②森昌子
③ちあきなおみ
④石田あゆみ
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正解:③

①島倉千代子
②いしだ あゆみ
③和田アキ子
④山口 百恵
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正解:②

①村田 英雄
②五木 ひろし
③舟木 一夫
④千 昌夫
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正解:③

①山口 百恵
②美空 ひばり
③小林 幸子
④森 昌子
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正解:④

①千 昌夫
②森 昌子
③坂本 九
④五木 ひろし
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正解:③

①並木 路子
②北島 三郎
③小柳 ルミ子
④森 昌子
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正解:③

①島倉 千代子
②森 昌子
③美空 ひばり
④西田佐知子
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正解:③

①島倉 千代子
②森 昌子
③テレサ・テン
④小林 幸子
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正解:③

①五木 ひろし
②藤山 一郎
③千 昌夫
④春日 八郎
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正解:②

①千 昌夫
②舟木 一夫
③北島 三郎
④五木 ひろし
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正解:①

①五木 ひろし
②北島 三郎
③欧陽非非
④千 昌夫
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正解:④

①舟木 一夫
②坂本 九
③北島 三郎
④千 昌夫
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正解:五木 ひろし

①五木 ひろし
②島倉 千代子
③森 昌子
④小林 幸子
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正解:美空 ひばり

①小林 幸子
②西田 佐知子
③森 昌子
④並木 路子
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正解:②

①美空 ひばり
②北島 三郎&小林 幸子
③舟木 一夫&森 昌子
④五木 ひろし&美空 ひばり
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正解:ロス・インディオス&シルビア

①ロス・インディオス&シルビア
②千 昌夫
③舟木 一夫
④森 進一
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正解:④

①坂本 九
②北島 三郎
③北島 三郎
④五木 ひろし
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正解:①

①舟木 一夫
②森 昌子
③舟木 一夫
④千 昌夫
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正解:藤山 一郎

①西田 佐知子
②美空 ひばり
③小林 幸子
④森 昌子
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正解:②

①藤山 一郎
②小林 幸子
③石川 さゆり
④森 昌子
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正解:③

①三波 春夫
②村田 英雄
③舟木 一夫
④美空 ひばり
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正解:①

①森 昌子
②島倉 千代子
③並木 路子
④小林 幸子
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正解:③

①森 昌子
②千 昌夫
③美空 ひばり
④西田 佐知子
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正解:③

①北島 三郎
②藤山 一郎
③舟木 一夫
④五木 ひろし
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正解:②

①春日 八郎
②北島 三郎
③小林 幸子
④霧島 昇
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正解:④

①小林 幸子
②五木 ひろし
③美空 ひばり
④森 昌子
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正解:③

①天童 よしみ
②西田 佐知子
③森 昌子
④小林 幸子
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正解:美空 ひばり

①美空 ひばり
②ペギー葉山
③森 昌子
④石川 さゆり
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正解:②

①森 昌子
②美空 ひばり
③小林 幸子
④石川 さゆり
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正解:②

①北島 三郎
②五木 ひろし
③藤山 一郎
④舟木 一夫
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正解:③

①村田 英雄
②舟木 一夫
③小林 幸子
④北島 三郎
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正解:①

①北島 三郎
②藤山 一郎
③春日 八郎
④千 昌夫
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正解:③

①森 昌子
②山口 百恵
③小柳 ルミ子
④水前寺 清子
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正解:④

①尾崎 紀世彦
②霧島 昇
③フランク 永井
④新川 二郎
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正解:①

解説:『また逢う日まで』は1971(昭和46)年に尾崎 紀世彦さんによってリリースされた曲である。

①北島 三郎
②舟木 一夫
③三橋 美智也
④加山 雄三
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正解:④

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以下のクイズは、クラシック音楽検定(マニア向け)Vol.1より、出題しております。
説明:クラシック音楽ファン向けの「知ってて役立つ。知らなくても大丈夫」な問題です。全問正解された方は、かなりの強者。※マニア向けVol.1
①J.ハイドン「交響曲 第45番『告別』」
②藤山 一郎
③ベートーヴェン「ピアノ協奏曲 第5番『皇帝』」
④W.A.モーツァルト「交響曲 第41番『ジュピター』」
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正解:シューマン「交響曲 第1番『春』」

解説:正解は、シューマン「交響曲 第1番『春』」でした。  1841年1月〜2月の短い期間に作曲されました。  スケッチからオーケストレーションまでの作業を考えると、これは早い!!  各楽章にも次のような表題がシューマンによって付けられています。   第1楽章「春の始まり」   第2楽章「夕べ」   第3楽章「楽しい遊び」   第4楽章「たけなわの春」

①音を出さずに終わる。
②指揮者が倒れる。
③終楽章が終わらずに繰り返しを続ける。
④シューマン「交響曲 第1番『春』」
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正解:終楽章で最後には誰もいなくなる。

解説:正解は、「終楽章で最後には誰もいなくなる」でした。この交響曲は4楽章構成で通常のJ.ハイドンの交響曲のスタイルに則っています。終楽章である第4楽章、イ長調を主な調性として、嬰ヘ短調に転調するたびに楽員が席を立ち去って行くように作曲されているのです。それは、第1オーボエと第2ホルンから始まり、最終的に弱音器をつけた2人のヴァイオリン奏者のピアニッシモの音で終わります。この声なき訴えに、賢明な君主のエステルハージィ候は気づき、翌日には領地に帰省をするのです。

①静かな演奏の後、びっくりするような大音量の和音が鳴らされる。
②時計の振り子の振り子のような伴奏リズムが使われる。
③夜鶯や鶉、カッコウの鳴き声が木管楽器で模倣される。
④終楽章で最後には誰もいなくなる。
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正解:①

解説: 正解は、「静かな演奏の後、びっくりするような大音量の和音が鳴らされる」でした。演奏会場で居眠りしている婦人方を起こすために書いた、という逸話が残されています。さらに、第2楽章には他にも「驚愕」することはあります。Andanteのゆったりとした楽曲ですが、なぜかトランペットが用いられているのです。今でこそ、珍しくないオーケストレーションですが、J.ハイドンの当時には、「常識はずれ」な試みが密かに行われているのです。

①交響曲 第37番 ト長調 K.444 (425a[Anh.A53])
②『親愛なるメルツェル』というカノンの旋律が使われている。
③交響曲 第1番 変ホ長調 K.16
④ミサ・プレヴィス ヘ長調 K.192
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正解:①

解説:正解は、「交響曲 第37番 ト長調 K.444 (425a[Anh.A53])」でした。今日のモーツァルト研究では、モーツァルトに「交響曲 第37番」は存在せず、最新の作品目録では交響曲の第37番目は「欠番」となっているのです。その他の3曲には、全て「ジュピター音型」が登場します。また、他にも「ミサ曲 ハ長調 K.257」等にも顔を出しています。更にモーツァルトだけではなく、当時の作曲家の作品にも「ジュピター音型」が用いられています。「シャコンヌ」と同様に、宗教的意味合いを持って、古くから採用されていた動機だったという説があります。

①交響曲 第33番 変ロ長調 K.319
②A、D、C、B
③A、C、D、B
④A、C、B、D
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正解:③

解説:正解は、「A、C、D、B」でした。  記号を作曲年順の古い順に並べると次のとおりです。  A:J.ハイドン「交響曲 第45番 嬰ヘ短調『告別』」(1772年作曲)  C:W.A.モーツァルト「交響曲第36番 ハ長調『リンツ』」(1783年作曲)  D:W.A.モーツァルト「交響曲第41番 ハ長調 『ジュピター』」(1788年作曲)  B:J.ハイドン「交響曲第94番 ト長調『驚愕』」(1791年作曲)

①ティンパニのトリルの後に独奏ピアノのソロがある。
②管弦楽の主題提示の前に独奏ピアノのソロがある。
③A、B、C、D
④独奏ピアノは左手だけが使われている。
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正解:②

解説:正解は、「管弦楽の主題提示の前に独奏ピアノのソロがある」でした。  厳密に言えば、管弦楽による変ホ長調の主和音が先に出ますが、ベートーヴェン以前のピアノ協奏曲では、協奏曲ソナタ形式に従い、管弦楽が主題提示をひとしきり奏でた後にピアノ独奏が始まります。冒頭でピアノのカデンツァと見まごうソロがあるため、ベートーヴェンは全3楽章に独奏ピアノを弾くピアニストが自らのファンタジーを聴衆に披露する見せ場「カデンツァ」を許していないのです。楽譜にも、本来、カデンツァが置かれるべき場所(コーダに入る前)にわざわざ「カデンツァは不要」と指示しています。

①第3楽章にトルコ風の行進曲部分がある。
②交響曲のような管弦楽を主体とした4楽章構成になっている。
③第2楽章と第3楽章が繋がっている。
④第2楽章にスケルツォがある。
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正解:③

解説:正解は、「第2楽章と第3楽章が繋がっている」でした。  第2楽章の最後で次の第3楽章の主題を変ホ長調で予告し、アタッカ(attaca il Rondo)「休まずに続けて、ロンド楽章に入る」の指示を設け、第3楽章になだれ込む手法をとっています。また、第3楽章の再現部の前で第2楽章の上記のフレーズを出現させ、第2楽章と第3楽章との一体感を出しています。これは、『皇帝』よりも先に作曲された「交響曲第6番」や「交響曲第5番」でも試みられ、『皇帝』にそれらの結実がみられると言ってよいでしょう。

①ホルンが長い音をpp(ごく弱く)で、ずっと吹き続けている。
②ファゴットの最低音域でppppppという極端な強弱記号がある。
③ティンパニがソロ演奏するフレーズがある。
④チェロとコントラバスがずっと休みである。
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正解:①

解説:正解は、「ホルンが長い音をpp(ごく弱く)で、ずっと吹き続けている」でした。  『皇帝』は「第2楽章と第3楽章が繋がっている」のですが、実はホルンが独奏ピアノに付き添うように、計12小節を延々と音を引き延ばしています。しかもホルンの弱点である「pp(ごく弱く)」で。ホルンは2管編成なので、一つの音ならカンニンブブレスで奏者2人で何とか乗り切れますが、まずいことにベートーヴェンは、この12小節の延ばしをホルンのオクターブと記しているのです。さらに、この時点で音を出しているのは、独奏ピアノとホルン2管だけ。ホルンは丸見えなので、かすかな音を延ばし続けるしか方法がないのです。これは厳しい。

①J.S.バッハの「音楽の捧げもの」
②いきなり始まるピアノ独奏の和音間隔が10度もある。
③W.A.モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491」
④ラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18」
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正解:③

解説:正解は、「W.A.モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491」」でした。「第20番 ニ短調 K.466」と共に、多数作曲されたモーツァルトのピアノ協奏曲の中、珍しい短調で書かれています。また楽曲のイメージは、半音階の陰陽が交わりながらも、明るく伸びやかなモーツァルトの作風と異なり、暗い情念に支配されています。むしろ「ベートーヴェン的」と表現することが適当とも感じられます。第1楽章の第1主題のハ短調の主和音で始まりながらも、不安定な和音進行をぎくしゃくと続ける動機は、その後も繰り返し第1楽章の中で姿を現します。

①ブラームス
②シューマン自身
③メンデルスゾーン
④妻のクララ・シューマン
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正解:③

解説:正解は、「メンデルスゾーン」でした。  1841年3月末、メンデルスゾーン指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。メンデルスゾーンは他にも、「交響曲第2番 ハ長調 作品61」の初演も指揮しています。「交響曲第4番 ニ短調 作品120」の初演の指揮も計画しましたが、体調不良のため断念しています。初演は、1841年12月にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とメンデルスゾーンの代役でコンサートマスターのF.ダーヴィトが行いました。ただ、「交響曲第4番 ニ短調 作品120」の改訂版の初演は、シューマン自身が1853年12月にデュッセルドルフにおいて行っています。