一問一答クイズ [No.12496] | |
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西郷隆盛検定 より 西郷隆盛はご存知の通り、幕末の時代に倒幕・維新力を尽くした維新の三傑の一人。薩摩藩の下級武士の家に生まれたが、薩摩藩の代表までになった人物です。そんな西郷どんについて出題します。 | |
1866年(慶応2年)に坂本龍馬らの仲介で成立した薩摩藩と長州藩の軍事的同盟を薩長同盟と言います。この時の薩摩藩の代表は隆盛ですが、長州藩の代表は誰だったでしょうか? | |
制限時間 : 無制限 | ノーヒント! |
難易度 | |
出題数 | 2213人中 |
正解数 | 1545人 |
正解率 | 69.81% |
作成者 | じっちゃん (ID:165) |
最高連続正解数 | 0 問 |
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正解:③
解説:西郷隆盛の本名は、西郷吉兵衛隆永(さいごうきちべえたかなが)※または西郷隆永。吉之介、善兵衛、吉之助と名前を変えましたが、父と同名の隆盛となりました。号として、南洲(なんしゅう)も名乗りました。ちなみに西郷従道は西郷隆盛の実弟、桂小五郎は長州藩の木戸孝允、西郷輝彦は歌手・俳優です。
正解:③
解説:肖像画を描いたエドアルド・キヨッソーネは、西郷本人と全く面識がありませんでした。西郷隆盛本人の写真も残っていなかったので、西郷従道と大山巌をモデルにして描いたといわれています。
正解:④
解説:西南戦争(せいなんせんそう)は、西郷隆盛たちは政府軍に鎮圧され、西郷たちの指導者は多くが自刃または戦死したといわれています。
正解:④
正解:④
解説:西郷隆盛には、3度の結婚経験があります。1度目は28歳の時に両親からの勧めで伊集院兼寛の姉・すがと結婚、2度目は奄美大島の龍郷村で自炊していた頃、島の名家であった龍家の佐栄志の娘・愛加那(あいかな)と結婚、3度目は岩山八郎太の23歳の娘・糸子と39歳の時に結婚しています。
正解:③
解説:身長179cm、体重110kg前後といわれています。当時の平均身長が155cmですから、かなりの大柄な人物であったことは間違いないようです。
正解:①
解説:西郷隆盛の血液型は、B型だそうです。これは隆盛の遺髪から判明しました。
正解:勝海舟
正解:②
解説:「敬天愛人(けいてんあいじん)」とは、文字通り「天を敬(うやま)い、人を愛する」ということ。つまり「修養を積んで、天を恐れ敬い、思いやる心境に到達することが必要」という意味。隆盛の座右の銘としても有名です。
正解:①
解説:正解は『勝五郎』です! ちなみに兄は『音五郎』と『粂次郎』です。
正解:1834年10月9日
解説:正解は『1834年10月9日』です。
正解:④
解説:正解は『嘉永二年(1849)』です。 嘉永元年(1848)は近藤勇が近藤周助のもとに入門した年。 安政四年(1857)は近藤勇が勝太から島崎勝太と名を変えた年。 万延元年(1860)は近藤勇が「近藤勇」へと完全に名を決めた年。
正解:③
解説:正解は『昌宜』です。 義武は島崎勇だったときの諱です。 あとは・・・ 適当です 笑
正解:①
解説:正解は『御陵衛士』です。 正確には、御陵衛士残党です。 1867年の油小路の変で暗殺された伊東甲子太郎が作った 御陵衛士の残党で、 殺したのは新選組なのでその恨み・・・ということです。
正解:①
正解:④
正解:③
正解:②
正解:丸に三つ引