一問一答クイズ [No.27213] | |
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日本テーマ史クイズ 〜遣隋使・遣唐使〜 より 日本史における、テーマ史のクイズです。今回のテーマは、遣隋使・遣唐使です。ぜひ、挑戦してみて下さい。 | |
藤原四子(藤原四兄弟)の内、遣唐使として唐に渡ったことがあるのは誰? | |
制限時間 : 無制限 | |
難易度 | |
出題数 | 306人中 |
正解数 | 141人 |
正解率 | 46.08% |
作成者 | 渡り鳥 (ID:14758) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:③
正解:②
解説:小野篁は、小野妹子の子孫。病と称して渡海しなかった上に、漢詩を用いて遣唐使の派遣を批判したため、隠岐に流罪となった。
正解:②
解説:・文帝 隋の初代皇帝 ・煬帝 隋の二代皇帝 ・恭帝侑 隋の三代皇帝 ・揚侑 唐の高祖・李淵によって擁立された隋の四代皇帝
正解:④
正解:②
正解:④
解説:・孝謙天皇 第46代天皇、養老律令を施行 ・称徳天皇 第48代天皇、孝謙天皇が重祚 ・桓武天皇 第50代天皇、長岡京・平安京に遷都 ・嵯峨天皇 第52代天皇、蔵人所や検非違使を設置 ・仁明天皇 第54代天皇、事実上最後の遣唐使を派遣
正解:①
正解:山上憶良
正解:③
正解:①
解説:曇徴は、高句麗の僧で日本に紙や墨、絵の具を伝えた。
正解:新羅との関係が修復したが、渤海国との関係が険悪なままだったから。
解説:当時、渤海国との関係は、渤海使が来日するなど交流があり、比較的良好だった。
正解:①
正解:竹千代
正解:①
正解:①
解説:三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で、武田信玄に完敗した家康は浜松城へ逃げ帰りました。その途中に馬に乗りながら、おもらしをしたと言われています。この惨敗を忘れないように、恐れをなして逃げ帰った愚かな自分を絵師に絵を描かせて残しました。ちなみに「しかみ像」と呼ばれています。
正解:①
正解:②
正解:④
正解:④
正解:①
解説:家康は6歳の時に今川家に人質として出されます。1560年5月、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れると家康は人質生活を終えて三河の岡崎城に帰ることができました。家康が19歳の時のことです。
正解:③
正解:北条氏直
正解:服部半蔵のてしたの者
正解:③
正解:徳川信康