一問一答クイズ [No.27233] | |
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日本テーマ史クイズ 〜遣隋使・遣唐使〜 より 日本史における、テーマ史のクイズです。今回のテーマは、遣隋使・遣唐使です。ぜひ、挑戦してみて下さい。 | |
聖徳太子が607年に小野妹子を隋に派遣した。この時の、隋の皇帝の名前は? | |
制限時間 : 無制限 | |
難易度 | |
出題数 | 325人中 |
正解数 | 275人 |
正解率 | 84.62% |
作成者 | 渡り鳥 (ID:14758) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:犬上御田鍬
正解:②
正解:③
解説:小野篁は、小野妹子の子孫。病と称して渡海しなかった上に、漢詩を用いて遣唐使の派遣を批判したため、隠岐に流罪となった。
正解:②
正解:④
正解:④
解説:・孝謙天皇 第46代天皇、養老律令を施行 ・称徳天皇 第48代天皇、孝謙天皇が重祚 ・桓武天皇 第50代天皇、長岡京・平安京に遷都 ・嵯峨天皇 第52代天皇、蔵人所や検非違使を設置 ・仁明天皇 第54代天皇、事実上最後の遣唐使を派遣
正解:①
正解:①
正解:裴世清
正解:④
解説:曇徴は、高句麗の僧で日本に紙や墨、絵の具を伝えた。
正解:④
解説:当時、渤海国との関係は、渤海使が来日するなど交流があり、比較的良好だった。
正解:犬上御田鍬
正解:②
解説:真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の家臣のことです。小説など登場していますが、人物は実在と架空がおります。
正解:①
解説:真田幸村(信繁)の旗印である六文銭(ろくもんせん)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる冥銭(めいせん)を表しているといわれています。この六文は三途の川の渡し賃となるようです。ちなみに永楽通宝(えいらくつうほう)は、織田信長です。
正解:②
解説:本名は真田源次郎信繁 (さなだげんじろうのぶしげ)です。真田幸村(さなだ ゆきむら)という名前は、彼の死後に小説などの作品で使われた名前です。
正解:④
正解:真田昌幸
解説:真田幸村(信繁)の父・真田昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて生きた武将です。信濃国の上田城での上田合戦(うえだかっせん)では、2度にわたって徳川軍を撃退したことで有名です。
正解:④
解説:九度山(くどやま)は、和歌山県北部に位置する町。関ケ原の合戦で敗れて、九度山に蟄居させられます。この町には伝説といわれる「真田のぬけ穴」などがあり、真田親子とのつながりの深い場所です。
正解:豊臣秀頼
解説:幸村(信繁)は、豊臣秀頼の参戦依頼を受けて、大坂冬の陣に出兵します。この時、使者は黄金200枚、銀30貫を持参したといわれています。
正解:①
解説:「真田の赤備え(あかぞなえ)」といわれ、真田軍は赤の鎧(よろい)で統一しました。
正解:②
正解:①