一問一答クイズ [No.46700] | |
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日本史B センター試験レベル より センターで出る正誤判定です。高校レベルの日本史の、基礎知識の確認に使ってください。 | |
鎌倉時代に関する文として、誤っているものはどれか。 | |
制限時間 : 無制限 | |
難易度 | |
出題数 | 505人中 |
正解数 | 252人 |
正解率 | 49.9% |
作成者 | ドンパ (ID:19604) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
解説:「アニミズム」は、縄文時代ではありますが、自然現象への崇拝を指します。この文は、国風文化期の「御霊信仰」を説明しています。
正解:応天門の変が起こった。
解説:応天門の変は、藤原良房が正式に摂政となった866年、つまり清和天皇の在位期の出来事です。伴善男が伊豆に流されました。
正解:③
解説:最初の蘭日辞書は「ハルマ和解」です。
正解:③
解説:第一次大戦期には、アジア市場へは綿糸、アメリカ市場へは生糸を輸出していました。
正解:③
解説:「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書に記されたものです。すでに日本は、1952年に独立を回復しています。 ゼネスト計画の中止…1947年 湯川秀樹ノーベル賞…1949年 下山事件、三鷹事件、松川事件…1949年の7月~8月
正解:④
解説:「建武式目」は足利尊氏によって出されたものです。「建武」がついているので間違いやすいです。
正解:③
解説:木綿を輸入したのは日朝貿易です。日明貿易では銅銭、生糸、絹織物が輸入されました。
正解:③
解説:二・二六事件は1936年 ×張作霖爆殺事件→満州事変 ×広田弘毅→斎藤実 ×国際連合→国際連盟
正解:①
解説:×南海道→西海道 ×清和天皇→桓武天皇 ×男性の三分の一 →三分の二
正解:④
解説:×フェートン号事件→モリソン号事件
正解:A:延久 B:時忠
解説:A 後三条(天皇)とあるので、延久の荘園整理令で記録所が設置された時のことだと分かります。
正解:赤松満祐によって足利義教が殺害された。
解説:宝治合戦(三浦泰村)→明徳の乱(山名氏清)→嘉吉の変(足利義教)→加賀の一向一揆(富樫政親)
正解:犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
解説:×村請制→五人組
正解:②
解説:工場の自動化は、第二次石油危機後の1980年頃に進みました。
正解:②
解説:×菅原孝標の女→紀貫之 菅原孝標の女といえば「更級日記」です。
正解:①
解説:「懐風藻」は勅撰ではありませんし、奈良時代に成立したものです。(天平文化に属する)
正解:①
解説:1583年(天正11年)賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と柴田勝家(前田利家、佐久間盛政)の戦いです。軍勢は、秀吉軍の50,000vs柴田軍の30,000。結果、秀吉が勝利して、「本能寺の変」後の信長後継者を決定付けました。ちなみにこの戦地は現在の滋賀県伊香郡の賤ヶ岳附近です。
正解:④
解説:豊臣秀吉は、木下藤吉郎→秀吉→羽柴秀吉の順で名前を変えました。
正解:④
解説:秀吉の妻・ねね(おね、ね、ねい)は、尾張国の杉原助左衛門定利の次女として生まれました。のちに高台院(こうだい いん)、北政所(きた の まんどころ)と呼ばれます。
正解:③
正解:③
解説:小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)は、1584年(天正12年)に羽柴秀吉と織田・徳川連合軍の間で行われた戦いです。戦力は、秀吉軍約110,000vs織田・徳川連合軍約18,000。結果は織田・徳川連合軍が優勢でしたが、秀吉が信雄に和睦を申し入れ、織田信雄がこれを受けたことにより幕を閉じました。
正解:④
解説:秀吉が関白になるために前関白だった公家の近衛前久(このえさきひさ)の養子(猶子)になりました。猶子(ゆうし)とは、養育の義務のない養子のことです。
正解:④
解説:サン=フェリペ号事件とは、暴風雨によって四国・土佐国の浦戸に漂着したスペイン船サン=フェリペ号の対処問題によって起こった出来事。秀吉は、船荷と乗員の所持金のすべてを没収しました。これに抗議した航海長の発言やポルトガル人のでまかせを聞き、キリスト教が布教を通じて、日本を植民地化しようとしている理解して、キリスト教の禁止に踏み切ったと言われています。ちなみにキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制「バテレン追放令」は、この事件の約10年前の出来事です。お間違えなく・・・。
正解:O型
解説:秀吉の血液型は、残っていた遺品・血判状から判明しました。
正解:④
解説:豊臣 秀頼(とよとみひでより)は、秀吉が57歳の時の子供です。1593年(文禄2年)に大坂城で誕生しました。
正解:④
解説:1583年・賤ヶ岳の戦い→1584年・小牧・長久手の戦い→1586年・九州征伐→1590年・小田原の役となります。よって、一番後に起こった戦いは1590年・小田原の役となります。ちなみに小田原の役は、豊臣秀吉と北条氏政が戦った戦で秀吉の勝利となりました。