予習・復習/一問一答クイズ
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①集団内の身分の上下関係や貧富の差はなかったと考えられる。
②代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡がある。
③杉田玄白
④大型動物にかわりニホンシカやイノシシが多くなった。
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正解:死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
解説:「アニミズム」は、縄文時代ではありますが、自然現象への崇拝を指します。この文は、国風文化期の「御霊信仰」を説明しています。
①応天門の変が起こった。
②意見封時十二箇条が出された。
③死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
④唐が滅亡した。
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正解:①
解説:応天門の変は、藤原良房が正式に摂政となった866年、つまり清和天皇の在位期の出来事です。伴善男が伊豆に流されました。
①商品の輸送にあたる馬借や、高利貸業者の借上がいた。
②菅原道真が左遷された。
③承久の乱後、朝廷監視のために六波羅探題が設置された。
④度会家行は神本仏迹説をとなえ、伊勢神道を創始した。
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正解:①
解説:「馬借」は室町時代の運送業者です。「問丸」に変えれば正文になります。
①アジア市場への生糸輸出で大幅な貿易超過となり、好景気になった。
②執権北条貞時のとき、永仁の徳政令で御家人所領の売買が禁止された。
③西田幾多郎は、「善の研究」を著して独自の哲学体系を打ち立てた。
④シーメンス事件の発覚により、第一次山本権兵衛内閣は退陣した。
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正解:①
解説:第一次大戦期には、アジア市場へは綿糸、アメリカ市場へは生糸を輸出していました。
①第二次護憲運動の結果、第一次加藤高明内閣が成立した。
②2月1日に予定されていたゼネラル=ストライキが中止された。
③湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した。
④下山事件などの怪事件が続発し、労働運動は打撃を受けた。
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正解:『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記された。
解説:「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書に記されたものです。すでに日本は、1952年に独立を回復しています。
ゼネスト計画の中止…1947年
湯川秀樹ノーベル賞…1949年
下山事件、三鷹事件、松川事件…1949年の7月~8月
①建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。
②所領裁断には、天皇の綸旨が必要だとする法令を出した。
③「二条河原落書」は、この政治を風刺したものである。
④『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記された。
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正解:①
解説:「建武式目」は足利尊氏によって出されたものです。「建武」がついているので間違いやすいです。
①日中共同声明により、台湾の国民政府との国交は断絶した。
②東北地方には陸奥将軍府、関東地方には鎌倉将軍府をおいた。
③日明貿易では主に、日本は銅を輸出し、木綿や絹織物を輸入した。
④下関条約で、日本は莫大な賠償金とともに台湾を獲得した。
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正解:③
解説:木綿を輸入したのは日朝貿易です。日明貿易では銅銭、生糸、絹織物が輸入されました。
①この調査の後、二・二六事件が起こった。
②留学生であった阿倍仲麻呂は、唐の地で客死した。
③張作霖爆殺事件の調査を行った。
④調査団の報告の結果、日本は国際連合を脱退した。
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正解:①
解説:二・二六事件は1936年
×張作霖爆殺事件→満州事変
×広田弘毅→斎藤実
×国際連合→国際連盟
①大宰府は南海道の行政を行った。
②女性が納める税は男性の三分の一にあたる租のみだった。
③清和天皇のときに雑徭の日数が半減された。
④調査を行ったときの首相は、広田弘毅である。
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正解:治部省は主に外交や仏事を担った。
解説:×南海道→西海道
×清和天皇→桓武天皇
×男性の三分の一 →三分の二
①正徳の治では、海舶互市新例(長崎新令)により貿易制限がなされた。
②日露和親条約により、択捉島は日本領と定められた。
③蛮社の獄では、フェートン号事件の対応を批判した人物が処罰された。
④ポルトガル商人の利益独占排除のため、糸割符制度が設けられた。
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正解:③
解説:×フェートン号事件→モリソン号事件
①A:延久 B:時忠
②A:延久 B:清盛
③治部省は主に外交や仏事を担った。
④A:延喜 B:清盛
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正解:①
解説:A 後三条(天皇)とあるので、延久の荘園整理令で記録所が設置された時のことだと分かります。
①赤松満祐によって足利義教が殺害された。
②A:延喜 B:時忠
③北条時頼により三浦泰村一族が滅ぼされた。
④「六分の一衆」と呼ばれた山名氏清が滅ぼされた。
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正解:①
解説:宝治合戦(三浦泰村)→明徳の乱(山名氏清)→嘉吉の変(足利義教)→加賀の一向一揆(富樫政親)
①村内には、田畑をもたない水呑百姓が存在した。
②加賀の一向宗徒らが加賀国守護の富樫政親を倒した。
③街道近辺の村では、交通に馬などを差し出す伝馬役が課せられた。
④田植えや脱穀に際して行われた村内での共同作業は、結と呼ばれた。
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正解:犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
解説:×村請制→五人組
①1960年代後半には、いわゆる3Cの普及率が上昇した。
②生活様式の画一化により、中流意識が広まった。
③犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
④四大公害訴訟は、いずれも被害者側が勝訴した。
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正解:コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。
解説:工場の自動化は、第二次石油危機後の1980年頃に進みました。
①自らの結婚生活を描いた「蜻蛉日記」が藤原道綱の母によって著された。
②醍醐天皇の命で、最初の勅撰和歌集の「古今和歌集」が編纂された。
③コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。
④紫式部によって、宮廷生活を題材とした「源氏物語」が著された。
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正解:地方での生活を描いた「土佐日記」が、菅原孝標の女によって著された。
解説:×菅原孝標の女→紀貫之 菅原孝標の女といえば「更級日記」です。
①漢詩文が流行し、「懐風藻」などの勅撰漢詩集が編纂された。
②仏像彫刻には、翻波式とよばれる表現技法が用いられた。
③藤原氏は勧学院を設け、一族の子弟の教育の場とした。
④嵯峨天皇や空海らは唐風の書の名手として知られ、のち三筆とよばれた。
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正解:①
解説:「懐風藻」は勅撰ではありませんし、奈良時代に成立したものです。(天平文化に属する)