一問一答クイズ [No.48629] | |
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受験を超える日本史クイズ より 大学受験で多分出ないであろうマニアックな問題 | |
「ハルマ和解」は別名「江戸ハルマ」と呼ばれるが、「長崎ハルマ」と呼ばれるものを書いたのは誰か | |
制限時間 : 無制限 | |
難易度 | |
出題数 | 210人中 |
正解数 | 180人 |
正解率 | 85.71% |
作成者 | うんちマン (ID:20264) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:②
解説:「論語古義」は伊藤仁斎の著作
正解:②
正解:遠藤勝助
解説:紀伊藩士である。高野長英などと交わる
正解:窪田清音
解説:窪田清音は講武所の頭取、兵学師範役である。
正解:竹千代
正解:日光東照宮
正解:②
解説:三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で、武田信玄に完敗した家康は浜松城へ逃げ帰りました。その途中に馬に乗りながら、おもらしをしたと言われています。この惨敗を忘れないように、恐れをなして逃げ帰った愚かな自分を絵師に絵を描かせて残しました。ちなみに「しかみ像」と呼ばれています。
正解:①
正解:④
正解:③
正解:④
正解:①
解説:家康は6歳の時に今川家に人質として出されます。1560年5月、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れると家康は人質生活を終えて三河の岡崎城に帰ることができました。家康が19歳の時のことです。
正解:松平元信
正解:北条氏直
正解:服部半蔵のてしたの者
正解:④
正解:徳川信康