一問一答クイズ [No.12521] | |
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昭和時代なんでも検定 より 昭和時代の出来事・事件や人々の暮らしなど、昭和時代のことなら何でも出題します。皆さんのチャンレンジ・出題をお願いします! | |
昭和58年(1983年)から昭和60年(1985年)まで計5回の甲子園出場で活躍した大阪・PL学園のKKコンビと言えば、誰でしょうか? | |
制限時間 : 無制限 | ノーヒント! |
難易度 | |
出題数 | 3182人中 |
正解数 | 2568人 |
正解率 | 80.7% |
作成者 | ゼファー (ID:144) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:③
正解:④
正解:④
解説:日本万国博覧会は、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月14日から9月13日までの183日間、開催されました。電気通信館ではワイアレスフォントして、現在の携帯電話と同じ機能が展示されました。ちなみに電卓機能も付いていたそうです。
正解:「世界の国からこんにちは」
解説:昭和45年(1970年)に大阪で行われた日本万国博覧会のテーマ曲は、「世界の国からこんにちは」です。歌手・三波 春夫といえば、「お客様は神様です」の言葉で有名。
正解:②
正解:②
正解:④
正解:犬養毅
正解:③
解説:竹の子族(たけのこぞく)は、東京・原宿の代々木公園の横にあった歩行者天国でラジカセからディスコサウンドを流して、独特の「竹の子族ダンス」を踊っていた人、グループの総称をいいます。昭和54年(1979年)から昭和59年(1984年)頃にかけて流行しました。
正解:間寛平
正解:①
正解:東京ドーム
正解:④
正解:③
正解:④
正解:③
正解:①
正解:④
正解:③
正解:④
正解:③
正解:田宮二郎
正解:③
解説:1985年に民営化されたのは、電電公社と専売公社です。
正解:③
解説:真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の家臣のことです。小説など登場していますが、人物は実在と架空がおります。
正解:④
解説:真田幸村(信繁)の旗印である六文銭(ろくもんせん)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる冥銭(めいせん)を表しているといわれています。この六文は三途の川の渡し賃となるようです。ちなみに永楽通宝(えいらくつうほう)は、織田信長です。
正解:③
解説:本名は真田源次郎信繁 (さなだげんじろうのぶしげ)です。真田幸村(さなだ ゆきむら)という名前は、彼の死後に小説などの作品で使われた名前です。
正解:④
正解:②
解説:真田幸村(信繁)の父・真田昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて生きた武将です。信濃国の上田城での上田合戦(うえだかっせん)では、2度にわたって徳川軍を撃退したことで有名です。
正解:④
解説:九度山(くどやま)は、和歌山県北部に位置する町。関ケ原の合戦で敗れて、九度山に蟄居させられます。この町には伝説といわれる「真田のぬけ穴」などがあり、真田親子とのつながりの深い場所です。
正解:④
解説:幸村(信繁)は、豊臣秀頼の参戦依頼を受けて、大坂冬の陣に出兵します。この時、使者は黄金200枚、銀30貫を持参したといわれています。
正解:③
解説:「真田の赤備え(あかぞなえ)」といわれ、真田軍は赤の鎧(よろい)で統一しました。
正解:②
正解:③