一問一答クイズ [No.13341]
ヨーロッパ王国検定 より
ヨーロッパの王国の歴史に関する問題。
王朝名が修道院長の外套に由来するフランス最長の王朝は次のうちどれでしょう?
プランタジネット朝
ブルボン朝
カペー朝
ヴァロア朝
制限時間 : 無制限
難易度
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1117人中
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作成者
AEIOU (ID:1571)
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予習・復習/一問一答クイズ
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戦争王の異名を持ち、ナルヴァの戦いで勝利したが、ポルタヴァの戦いで北欧の覇権を失った北方戦争(1700〜1721年)のときのスウェーデン王で、ヴォルテールに「かつて此の世に生を享けた人間のうち、恐らく最も異常な性格の持ち主」と評価されたのは誰でしょう。
選択肢:①グスタフ2世、②ピョートル1世、③ヤン3世、④プランタジネット朝
カノッサの屈辱の時の神聖ローマ皇帝はだれでしょう。
選択肢:①レオポルト1世、②ハインリヒ4世、③オットー1世、④フリードリヒ3世
マキャベリの「君主論」でも絶賛された、カトリック両王のうちの一人のアラゴン王で、トルデシリャス条約の締結や異端審問の開始をしたのは誰でしょう。
選択肢:①カール12世、②フェルナンド2世、③フェリペ2世、④フェルディナント2世
モスクワ公国のイヴァン1世のあだ名は「イヴァン・カリタ」ですが、カリタとは何を意味するでしょう?
選択肢:①銭袋、②賢人、③雷、④東ローマ皇帝
オーストリアのマリア・テレジアとヨーゼフ2世のもとで外交革命を主導、ポーランド分割にも参加した宰相は誰でしょう。
選択肢:①カウニッツ、②メッテルニヒ、③カヴール、④ビスマルク
ヘンリー8世の子で、「王子と乞食」の主役にもなっている、一般祈祷書が制定されたときのイギリス王は誰でしょう。
選択肢:①チャールズ1世、②メアリ1世、③エドワード6世、④ニコライ2世
次のうち、金印勅書に定められた七選帝侯でないのはどれでしょう。
選択肢:①ベーメン(ボヘミア)、②マインツ、③リチャード3世、④ハノーヴァー
次の王と王朝の組み合わせで間違っているのはどれでしょう。
選択肢:①イヴァン4世→ロマノフ朝、②オットー1世→ザクセン朝、③メアリ1世→テューダー朝、④トリーア
カルマル同盟を主導したマルグレーテからみたエーリク7世との関係として正しいものはどれでしょう。
選択肢:①従兄弟、②ウィリアム1世→ノルマン朝、③夫、④姉の孫
ナポレオン3世の本名と、ナポレオン1世からみたナポレオン3世の関係は次のうちどれでしょう。
選択肢:①(本名)フランソワ=ナポレオン・ボナパルト(関係)甥、②(本名)ルイ・フィリップ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫、③(本名)シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト (関係)甥、④(本名)ユーグ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫
次のうち、ルドルフ2世から王位を簒奪したのは誰でしょう。
選択肢:①オタカル、②マティアス、③フェルディナント、④甥
ヴィクトリア女王の孫でないのは誰か?
選択肢:①ニコライ2世(ロシア皇帝)、②マルティネス、③ジョージ5世(イギリス国王)、④ウィルヘルミナ(オランダ女王)
次のA、Cにあてはまる都市名と、Bにあてはまる国王を答えよ。ポーランドのピアスト朝はボレスワフ1世の時代に、当時の首都(A)の郊外のグニェズノに大司教座を置き、神聖ローマ皇帝からポーランド国王の地位を認められた。14世紀の大半に国王として君臨したこの王朝最後の王(B)は、領土拡大・王権強化・(C)大学(ヤゲヴォ大学)設立などでポーランドを強国に発展させ、大王と呼ばれた。
選択肢:①A.クラクフ B.カジミェシュ3世 C.ポズナニ、②A.クラクフ B.ミエシュコ1世 C.ポズナニ、③A.ポズナニ B.カジミェシュ3世 C.クラクフ、④ヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)
フランスにおけるブルボン朝最後の王は誰か
選択肢:①ルイ・フィリップ、②ルイ18世、③アンリ11世、④シャルル10世