一問一答クイズ [No.13346]
ヨーロッパ王国検定 より
ヨーロッパの王国の歴史に関する問題。
ヘンリー8世の子で、「王子と乞食」の主役にもなっている、一般祈祷書が制定されたときのイギリス王は誰でしょう。
リチャード3世
メアリ1世
チャールズ1世
エドワード6世
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作成者
AEIOU (ID:1571)
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予習・復習/一問一答クイズ
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戦争王の異名を持ち、ナルヴァの戦いで勝利したが、ポルタヴァの戦いで北欧の覇権を失った北方戦争(1700〜1721年)のときのスウェーデン王で、ヴォルテールに「かつて此の世に生を享けた人間のうち、恐らく最も異常な性格の持ち主」と評価されたのは誰でしょう。
選択肢:①チャールズ1世、②カール12世、③グスタフ2世、④ピョートル1世
王朝名が修道院長の外套に由来するフランス最長の王朝は次のうちどれでしょう?
選択肢:①カペー朝、②ヴァロア朝、③ブルボン朝、④ヤン3世
カノッサの屈辱の時の神聖ローマ皇帝はだれでしょう。
選択肢:①プランタジネット朝、②ハインリヒ4世、③レオポルト1世、④フリードリヒ3世
マキャベリの「君主論」でも絶賛された、カトリック両王のうちの一人のアラゴン王で、トルデシリャス条約の締結や異端審問の開始をしたのは誰でしょう。
選択肢:①ニコライ2世、②フェリペ2世、③フェルナンド2世、④オットー1世
モスクワ公国のイヴァン1世のあだ名は「イヴァン・カリタ」ですが、カリタとは何を意味するでしょう?
選択肢:①フェルディナント2世、②東ローマ皇帝、③雷、④賢人
オーストリアのマリア・テレジアとヨーゼフ2世のもとで外交革命を主導、ポーランド分割にも参加した宰相は誰でしょう。
選択肢:①カヴール、②銭袋、③メッテルニヒ、④ビスマルク
次のうち、金印勅書に定められた七選帝侯でないのはどれでしょう。
選択肢:①トリーア、②マインツ、③ベーメン(ボヘミア)、④カウニッツ
次の王と王朝の組み合わせで間違っているのはどれでしょう。
選択肢:①ハノーヴァー、②イヴァン4世→ロマノフ朝、③ウィリアム1世→ノルマン朝、④メアリ1世→テューダー朝
カルマル同盟を主導したマルグレーテからみたエーリク7世との関係として正しいものはどれでしょう。
選択肢:①甥、②オットー1世→ザクセン朝、③姉の孫、④夫
ナポレオン3世の本名と、ナポレオン1世からみたナポレオン3世の関係は次のうちどれでしょう。
選択肢:①従兄弟、②(本名)ルイ・フィリップ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫、③(本名)シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト (関係)甥、④(本名)ユーグ=ナポレオン・ボナパルト (関係)孫
次のうち、ルドルフ2世から王位を簒奪したのは誰でしょう。
選択肢:①(本名)フランソワ=ナポレオン・ボナパルト(関係)甥、②オタカル、③マルティネス、④マティアス
ヴィクトリア女王の孫でないのは誰か?
選択肢:①ニコライ2世(ロシア皇帝)、②ジョージ5世(イギリス国王)、③フェルディナント、④ヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝)
次のA、Cにあてはまる都市名と、Bにあてはまる国王を答えよ。ポーランドのピアスト朝はボレスワフ1世の時代に、当時の首都(A)の郊外のグニェズノに大司教座を置き、神聖ローマ皇帝からポーランド国王の地位を認められた。14世紀の大半に国王として君臨したこの王朝最後の王(B)は、領土拡大・王権強化・(C)大学(ヤゲヴォ大学)設立などでポーランドを強国に発展させ、大王と呼ばれた。
選択肢:①A.ポズナニ B.カジミェシュ3世 C.クラクフ、②ウィルヘルミナ(オランダ女王)、③A.クラクフ B.ミエシュコ1世 C.ポズナニ、④A.ポズナニ B.ミエシュコ1世 C.クラクフ
フランスにおけるブルボン朝最後の王は誰か
選択肢:①シャルル10世、②A.クラクフ B.カジミェシュ3世 C.ポズナニ、③ルイ18世、④ルイ・フィリップ