日本史 最難関テスト | |||
| これ解けたらまぁやるやん | |||
| 難易度 | |||
| 合格点 | 3問正解/5問中 上級:8問正解/10問中 | ||
| 制限時間 | 5分以内 | ||
| クイズ登録数 | 全5問 | ||
| 受験者数 | 110人 | ||
| 合格者数 | 75人 | ||
| 合格率 | 68.18% |
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| 作成者 | Ty (ID:19587) | ||
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正解:①
解説:神護景雲 奈良時代 寛平 平安時代 寛喜 鎌倉時代 神護景雲は常識 寛平は宇多天皇の治世 寛喜は御成敗式目作成の遠因の飢饉発生 だからこんなものは3択すぐに除去できる
正解:①
解説:平田篤胤 「古史伝」著 気吹之舎 創建 復古神道 創始 会沢安 「新論」 伴信男 「長等の山風」 「比古婆衣」 松尾多勢子 女性の尊皇攘夷派
正解:②
解説:牧野成貞は最初の側用人 松平信明は定信引退後も老中として徳川家斉の贅沢を戒める
正解:④
解説:書くのめどい
正解:④
解説:周瑜公瑾と張遼文遠は三国時代の武将。 義慈王は泉蓋蘇文と同時期に百済で権利掌握をおこなった。
正解:④
正解:③
正解:①
正解:①
解説:フェルディナント2世は三十年戦争時の神聖ローマ皇帝。フェリペ2世はスペインの黄金期の国王。ニコライ2世は日露戦争、ロシア革命時のロシア皇帝。 もう一人のカトリック両王はイザベル1世。
正解:③
解説:当時タタールの軛といわれ、ロシアを支配していたキプチャク・ハン国に金で取り入り政敵を抹殺したり、金で土地を買い自らの力を強大にしたためこう呼ばれた。
正解:②
正解:①
正解:③
解説:金印勅書は神聖ローマ皇帝カール4世が発布したもので、選帝侯をマインツ・トリアー・ケルンの大司教とプファルツ・ザクセン・ブランデンブルク・ボヘミアの俗界諸侯の七人に定めた。ハノヴァーは1629年に追加された選帝侯で、ここからジョージ1世がイギリスに招かれてハノヴァー朝が成立した。ハノヴァー朝は第一次世界大戦中に、敵国ドイツ風の呼称を嫌ってウィンザー朝と改称され今に至る。
正解:④
解説:イヴァン4世(雷帝)はリューリク朝
正解:③
解説:エーリク7世はデンマーク王(兼スウェーデン王、ノルウェー王)。マルグレーテはその摂政として実権を握った。マルグレーテ女王(1世)と呼ばれることもあるが王位には就いていない。
正解:②
正解:③
解説:ハプスブルク家では唯一の王位簒奪。美術品収集や錬金術に没頭していたルドルフ2世は、国政を顧みなかったため、弟に王位を奪われた。ルドルフ2世はケプラーの庇護者として有名。
正解:④
解説:ドイツのヴィルヘルム2世は3B政策を推進しイギリスの覇権に挑戦したが、第一次世界大戦で敗れドイツ革命で国外に亡命した。ロシアのニコライ2世は日露戦争・第一次世界大戦のときの皇帝で、ロシア革命の際に処刑された。ジョージ5世は第一次世界大戦時のイギリス国王。ウィルヘルミナは1890〜1948年までの長期間オランダ女王であった。
正解:②
解説:ミエシュコ1世はピアスト朝の創始者でボレスワフ1世の父。ポーランドの現在の首都はワルシャワ。
正解:①
解説:ナポレオンが失脚すると、ウィーン体制下でブルボン朝が復活しルイ18世が即位した。彼の死後はシャルル10世が即位したが、専制政治やアルジェリア遠征により7月革命を誘発し、1830年に退位してフランスにおけるブルボン朝は終焉した。なお、ルイ16世・ルイ18世・シャルル10世は兄弟である。スペインでは今に至るまでブルボン朝が続いている。ルイ・フィリップは7月革命の際にオルレアン家から迎えられた国王。アンリ11世は存在しない。
| 順位 | ユーザー名 | 回答(問) | 正解(問) | 経過タイム | 合否 | コメント |
| 1 位 | T.M. | 5 | 5 | 00:00:07 | ||
| 2 位 | まうしゅ | 5 | 3 | 00:01:02 | ||
| 3 位 | ろろ | 5 | 2 | 00:00:08 | ||
| 4 位 | Ty | 5 | 2 | 00:01:24 | ||
| 5 位 | シャナ | 5 | 1 | 00:00:57 | ||
| 6 位 | 晴王 | 5 | 1 | 00:01:07 | ||
| 7 位 | ぴょるこ | 5 | 0 | 00:01:08 | ||