一問一答クイズ [No.12515] | |
---|---|
明治時代なんでも検定 より 明治時代の出来事・事件や人々の暮らしなど、明治時代のことなら何でも出題します。皆さんのチャンレンジ・出題をお願いします! | |
明治5年(1874年)に出版された「西洋料理指南」というレシピ本にはカレーライスの作り方が載っていますが、現在ではあまり考えられない材料があります。は次のどれでしょうか? | |
制限時間 : 無制限 | ノーヒント! |
難易度 | |
出題数 | 2574人中 |
正解数 | 1497人 |
正解率 | 58.16% |
作成者 | ゼファー (ID:144) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:新橋〜横浜間
解説:1872年(明治5年)10月14日、日本で初めて鉄道「新橋〜横浜間」の29kmが開通しました。片道を53分をかけて走ったそうです。ちなみに片道運賃は35銭5厘、現在のお金に換算すると4500円くらいだそうです。
正解:④
正解:②
正解:②
解説:「ハイカラ」の語源は、明治時代の男子の服装で流行した高い襟(えり)のシャツに由来します。ちなみに高い襟(えり)を英語でハイカラー(high collar)といいます。意味は西洋風の身なり、生活様式をすること(また、その人)。また新しくオシャレなことを意味します。
正解:③
解説:馬車鉄道とは、馬が線路の上を走る車を引く鉄道です。1882年(明治15年)6月25日に東京馬車鉄道が開業されました。区間は日本橋−新橋までで運賃が2銭〜3銭と安くかったようです。乗車方法も手を上げて、タクシーのように乗ることができました。しかし、馬の糞尿や餌の問題に加えて、電車が普及したために次第の姿をけしていきました。
正解:京都府京都市中京区
正解:①
正解:あいすくりん
解説:1869年(明治2年)5月9日、町田房蔵が横浜の馬車道通りに「氷水屋」を開業して、国内で初めてのアイスクリーム「あいすくりん」を発売。なんと、1人前の価格は二分(現在:約8,000円)でとても高価なものでした。ちなみに発売を開始した5月9日は現在「アイスクリームの日」となっています。
正解:日付の下1桁に1と6の付く日 ※但し31日を除く
正解:②
解説:1884年(明治17年)6月12日、日本最初のバザーは「婦人慈善会」という名で東京・日比谷の鹿鳴館で開かれました。売り物は手工芸品や喫茶、食堂の飲食サービスなどでを行い、3日間の入場者は1万2千人ありました。ちなみに売り上げた8000円(当時の金額)は有志共立東京病院へ全額寄付したそうです。
正解:①
解説:1583年(天正11年)賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と柴田勝家(前田利家、佐久間盛政)の戦いです。軍勢は、秀吉軍の50,000vs柴田軍の30,000。結果、秀吉が勝利して、「本能寺の変」後の信長後継者を決定付けました。ちなみにこの戦地は現在の滋賀県伊香郡の賤ヶ岳附近です。
正解:②
解説:豊臣秀吉は、木下藤吉郎→秀吉→羽柴秀吉の順で名前を変えました。
正解:④
解説:秀吉の妻・ねね(おね、ね、ねい)は、尾張国の杉原助左衛門定利の次女として生まれました。のちに高台院(こうだい いん)、北政所(きた の まんどころ)と呼ばれます。
正解:①
正解:①
解説:小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)は、1584年(天正12年)に羽柴秀吉と織田・徳川連合軍の間で行われた戦いです。戦力は、秀吉軍約110,000vs織田・徳川連合軍約18,000。結果は織田・徳川連合軍が優勢でしたが、秀吉が信雄に和睦を申し入れ、織田信雄がこれを受けたことにより幕を閉じました。
正解:④
解説:秀吉が関白になるために前関白だった公家の近衛前久(このえさきひさ)の養子(猶子)になりました。猶子(ゆうし)とは、養育の義務のない養子のことです。
正解:②
解説:サン=フェリペ号事件とは、暴風雨によって四国・土佐国の浦戸に漂着したスペイン船サン=フェリペ号の対処問題によって起こった出来事。秀吉は、船荷と乗員の所持金のすべてを没収しました。これに抗議した航海長の発言やポルトガル人のでまかせを聞き、キリスト教が布教を通じて、日本を植民地化しようとしている理解して、キリスト教の禁止に踏み切ったと言われています。ちなみにキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制「バテレン追放令」は、この事件の約10年前の出来事です。お間違えなく・・・。
正解:④
解説:秀吉の血液型は、残っていた遺品・血判状から判明しました。
正解:②
解説:豊臣 秀頼(とよとみひでより)は、秀吉が57歳の時の子供です。1593年(文禄2年)に大坂城で誕生しました。
正解:④
解説:1583年・賤ヶ岳の戦い→1584年・小牧・長久手の戦い→1586年・九州征伐→1590年・小田原の役となります。よって、一番後に起こった戦いは1590年・小田原の役となります。ちなみに小田原の役は、豊臣秀吉と北条氏政が戦った戦で秀吉の勝利となりました。