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 一問一答クイズ [No.11060]
  戦国時代検定 より  日本の歴史クイズ!戦国時代(安土桃山時代)の出題をします。戦国武将、戦(いくさ)、年表、エピソードなど、戦国のことなら、何でも出題します。みなさんも戦いにご参加ください。
問題 1588年(天正16年)1月に起きた大崎合戦(おおさきかっせん)は、大崎義隆と誰の戦いでしょうか?
  1. 武田信玄
  2. 伊達政宗
  3. 上杉謙信
  4. 柴田勝家
   
制限時間 : 無制限 ノーヒント!
難易度 中級
出題数 16621人中
正解数 11245人
正解率 67.66%正解率
作成者 ゆうじ (ID:53)
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①柴田勝家
②織田信長
③柴田勝家
④織田信忠
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正解:④

解説:武田征伐(たけだせいばつ)は、長篠の戦い以降に勢力が衰えた武田家の領地(駿河・信濃・甲斐)へ侵攻した戦い。武田氏一族を攻め滅ぼした合戦。別名「武田崩れ」とも呼ばれています。

①武田軍vs毛利軍
②武田軍vs徳川軍
③織田軍vs北条軍
④北条軍vs徳川軍
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正解:④

①山梨県
②長野県
③新潟県
④羽柴秀吉
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正解:②

解説:甲斐国(山梨県)の戦国大名・武田信玄と越後国(新潟県)の戦国大名・上杉謙信が、北信濃の支配権を巡った争い。1553年〜1564年までの間に計5回も戦われ、最後の第5次の戦いでは、にらみ合いだけで終り、結局勝敗の決着を付けずにこの戦は終了する。

①武田信玄
②上杉謙信
③斎藤道三
④岐阜県
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正解:②

①かんながわ
②かみなががわ
③かんりゅうがわ
④織田信長
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正解:①

解説:神流川の戦い(かんながわのたたかい)は、1582年7月5日〜7月8日に織田信長が本能寺の変によって死んだ後に織田方の滝川一益と北条氏直が争った戦い。戦国時間の中で関東地方で最も激しい野戦と言われている。

①小早川隆景
②蜂須賀家政
③がんりゅうがわ
④長宗我部元親
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正解:④

①ながそうかべ もとおや
②ちょうそかべ もとちか
③ながそかべ もとおや
④ちょうそうかぶ げんしん
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正解:②

①毛利元就
②B型
③O型
④AB型
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正解:④

①B型
②A型
③AB型
④O型
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正解:④

①AB型
②A型
③O型
④B型
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正解:④

①天然痘を患った
②弓が刺さった
③A型
④竹刀が当たった
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正解:①

①今川義元
②松永久秀
③落馬して顔面を強く打った
④浅井長政
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正解:②

①六角義賢
②500人
③7500人
④12000人
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正解:3000人

解説:桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行われた合戦。今川軍の戦力・約25,000人に対して、織田軍の戦力は約3000人と言われています。織田軍の奇襲攻撃により、総大将の今川義元は戦死しました。

①信千代
②大吉丸
③竹千代
④吉法師
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正解:④

①義
②愛
③3000人
④誠
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正解:毘

①毘
②石川県
③富山県
④福井県
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正解:②

①武功夜話
②太閤記
③新潟県
④信長公記
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正解:①

解説:遠藤周作氏著書の「男の一生」は戦国大名の前野長康が主人公ですが、伊勢湾台風で崩れた土蔵の中から発見された、「武功夜話」をベースに書かれたそうです。

①近江佐和山城、島左近、舞兵庫、蒲生郷舎
②越前敦賀城、舞兵庫、島左近、蒲生郷舎
③豊前小倉城、島左近、舞兵庫、蒲生郷舎
④徳川実紀
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正解:①

①美濃大垣城、島左近、蒲生郷舎、舞兵庫
②遠州掛川 65万石 山内一豊
③筑前・筑後・肥前1郡の37万1300石 小早川秀秋
④関八州255万石 徳川家康
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正解:③

①毛利 輝元
②伊達 政宗
③宇喜多 秀家
④肥後熊本18万6000石 加藤清正
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正解:②

①南部 晴政
②上杉 景勝
③蒲生 氏郷
④大友 宗隣
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正解:①

①長島
②厳島
③松島
④黒田 如水
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正解:巌流島

解説:武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。

①滋賀の戦い
②巌流島
③山崎の戦い
④本能寺の戦い
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正解:③

①方円の陣
②車掛の陣
③魚鱗の陣
④鶴翼の陣
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正解:②

①本多正信
②井伊直政
③酒井忠次
④榊原康政
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正解:①

①吉川元春
②京都の戦い
③毛利隆元
④小早川隆景
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正解:毛利輝元

解説:毛利輝元は孫です。

①豊臣秀長
②徳川家康
③織田信長
④毛利輝元
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正解:②

解説:実の親は徳川家康。 のちに豊臣秀吉の養子になり、秀頼を弟のように可愛がったという。                                  家康に「もし豊臣を攻撃するようなことがあったら私は秀頼をかばって大阪城に入る」 とまで言ったそうだ。

①武田信玄
②島津義弘
③豊臣秀吉
④豊臣秀吉
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正解:毛利元就

①毛利元就
②真田家を挟んだ親戚
③毛利家を挟んだ親戚
④上杉家を挟んだ親戚
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正解:②

解説:石田三成の妻と真田昌幸の妻は姉妹                                                                  本多忠勝の娘は徳川家康の養女になり真田信之へ嫁いだ

①第二次川中島合戦
②第五次川中島合戦
③大一次川中島合戦
④今川家を挟んだ親戚
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正解:①

①前田秀継
②前田利家
③第三次川中島合戦
④前田慶次
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正解:前田安勝

①前田安勝
②加藤清正
③鬼小島彌太郎
④真柄直隆
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正解:③

①藤堂高虎
②大友宗鱗
③立花道雪
④本田忠勝
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正解:高橋紹運

①徳川秀忠
②明智光秀
③高橋紹運
④成田氏長
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正解:真田信之

①南部晴政
②真田信之
③戸沢盛安
④大浦為信
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正解:③

①刀鍛冶
②北信愛
③油売り
④百姓
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正解:③

①石川高信
②北信愛
③九戸政実
④大工
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正解:①

①1593年
②1590年
③最上義守
④1592年
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正解:1591年

①1591年
②伊達氏
③安東氏
④大浦氏
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正解:南部氏

①長門守
②摂津守
③大和守
④南部氏
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正解:越前守

①河内守
②筑後守
③越前守
④但馬守
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正解:②

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以下のクイズは、日本史B センター試験レベルより、出題しております。
説明:センターで出る正誤判定です。高校レベルの日本史の、基礎知識の確認に使ってください。
①集団内の身分の上下関係や貧富の差はなかったと考えられる。
②死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
③大型動物にかわりニホンシカやイノシシが多くなった。
④伊予守
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正解:②

解説:「アニミズム」は、縄文時代ではありますが、自然現象への崇拝を指します。この文は、国風文化期の「御霊信仰」を説明しています。

①意見封時十二箇条が出された。
②代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡がある。
③応天門の変が起こった。
④唐が滅亡した。
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正解:③

解説:応天門の変は、藤原良房が正式に摂政となった866年、つまり清和天皇の在位期の出来事です。伴善男が伊豆に流されました。

①承久の乱後、朝廷監視のために六波羅探題が設置された。
②執権北条貞時のとき、永仁の徳政令で御家人所領の売買が禁止された。
③度会家行は神本仏迹説をとなえ、伊勢神道を創始した。
④商品の輸送にあたる馬借や、高利貸業者の借上がいた。
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正解:④

解説:「馬借」は室町時代の運送業者です。「問丸」に変えれば正文になります。

①菅原道真が左遷された。
②稲村三伯
③山崎闇斎
④杉田玄白
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正解:②

解説:最初の蘭日辞書は「ハルマ和解」です。

①シーメンス事件の発覚により、第一次山本権兵衛内閣は退陣した。
②第二次護憲運動の結果、第一次加藤高明内閣が成立した。
③西田幾多郎は、「善の研究」を著して独自の哲学体系を打ち立てた。
④新井白石
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正解:アジア市場への生糸輸出で大幅な貿易超過となり、好景気になった。

解説:第一次大戦期には、アジア市場へは綿糸、アメリカ市場へは生糸を輸出していました。

①2月1日に予定されていたゼネラル=ストライキが中止された。
②『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記された。
③湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した。
④下山事件などの怪事件が続発し、労働運動は打撃を受けた。
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正解:②

解説:「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書に記されたものです。すでに日本は、1952年に独立を回復しています。 ゼネスト計画の中止…1947年 湯川秀樹ノーベル賞…1949年 下山事件、三鷹事件、松川事件…1949年の7月~8月

①「二条河原落書」は、この政治を風刺したものである。
②所領裁断には、天皇の綸旨が必要だとする法令を出した。
③アジア市場への生糸輸出で大幅な貿易超過となり、好景気になった。
④東北地方には陸奥将軍府、関東地方には鎌倉将軍府をおいた。
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正解:建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。

解説:「建武式目」は足利尊氏によって出されたものです。「建武」がついているので間違いやすいです。

①日中共同声明により、台湾の国民政府との国交は断絶した。
②日明貿易では主に、日本は銅を輸出し、木綿や絹織物を輸入した。
③下関条約で、日本は莫大な賠償金とともに台湾を獲得した。
④留学生であった阿倍仲麻呂は、唐の地で客死した。
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正解:②

解説:木綿を輸入したのは日朝貿易です。日明貿易では銅銭、生糸、絹織物が輸入されました。

①この調査の後、二・二六事件が起こった。
②建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。
③調査団の報告の結果、日本は国際連合を脱退した。
④張作霖爆殺事件の調査を行った。
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正解:①

解説:二・二六事件は1936年 ×張作霖爆殺事件→満州事変 ×広田弘毅→斎藤実 ×国際連合→国際連盟

①治部省は主に外交や仏事を担った。
②清和天皇のときに雑徭の日数が半減された。
③女性が納める税は男性の三分の一にあたる租のみだった。
④調査を行ったときの首相は、広田弘毅である。
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正解:①

解説:×南海道→西海道 ×清和天皇→桓武天皇 ×男性の三分の一 →三分の二

①大宰府は南海道の行政を行った。
②正徳の治では、海舶互市新例(長崎新令)により貿易制限がなされた。
③蛮社の獄では、フェートン号事件の対応を批判した人物が処罰された。
④日露和親条約により、択捉島は日本領と定められた。
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正解:③

解説:×フェートン号事件→モリソン号事件

①ポルトガル商人の利益独占排除のため、糸割符制度が設けられた。
②A:延喜 B:時忠
③A:延久 B:清盛
④A:延久 B:時忠
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正解:④

解説:A 後三条(天皇)とあるので、延久の荘園整理令で記録所が設置された時のことだと分かります。

①北条時頼により三浦泰村一族が滅ぼされた。
②「六分の一衆」と呼ばれた山名氏清が滅ぼされた。
③A:延喜 B:清盛
④加賀の一向宗徒らが加賀国守護の富樫政親を倒した。
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正解:赤松満祐によって足利義教が殺害された。

解説:宝治合戦(三浦泰村)→明徳の乱(山名氏清)→嘉吉の変(足利義教)→加賀の一向一揆(富樫政親)

①田植えや脱穀に際して行われた村内での共同作業は、結と呼ばれた。
②街道近辺の村では、交通に馬などを差し出す伝馬役が課せられた。
③赤松満祐によって足利義教が殺害された。
④村内には、田畑をもたない水呑百姓が存在した。
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正解:犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。

解説:×村請制→五人組

①生活様式の画一化により、中流意識が広まった。
②1960年代後半には、いわゆる3Cの普及率が上昇した。
③コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。
④犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
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正解:③

解説:工場の自動化は、第二次石油危機後の1980年頃に進みました。

①地方での生活を描いた「土佐日記」が、菅原孝標の女によって著された。
②紫式部によって、宮廷生活を題材とした「源氏物語」が著された。
③醍醐天皇の命で、最初の勅撰和歌集の「古今和歌集」が編纂された。
④自らの結婚生活を描いた「蜻蛉日記」が藤原道綱の母によって著された。
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正解:①

解説:×菅原孝標の女→紀貫之 菅原孝標の女といえば「更級日記」です。

①藤原氏は勧学院を設け、一族の子弟の教育の場とした。
②漢詩文が流行し、「懐風藻」などの勅撰漢詩集が編纂された。
③四大公害訴訟は、いずれも被害者側が勝訴した。
④仏像彫刻には、翻波式とよばれる表現技法が用いられた。
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正解:②

解説:「懐風藻」は勅撰ではありませんし、奈良時代に成立したものです。(天平文化に属する)