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 一問一答クイズ [No.11068]
  戦国時代検定 より  日本の歴史クイズ!戦国時代(安土桃山時代)の出題をします。戦国武将、戦(いくさ)、年表、エピソードなど、戦国のことなら、何でも出題します。みなさんも戦いにご参加ください。
問題 太閤・豊臣秀吉の血液型は何型でしょうか?
  1. B型
  2. AB型
  3. A型
  4. O型
   
制限時間 : 無制限 血判状から判明したそうです。
難易度 上級
出題数 16554人中
正解数 7672人
正解率 46.35%正解率
作成者 ゆうじ (ID:53)
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①織田信忠
②織田信長
③柴田勝家
④羽柴秀吉
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正解:①

解説:武田征伐(たけだせいばつ)は、長篠の戦い以降に勢力が衰えた武田家の領地(駿河・信濃・甲斐)へ侵攻した戦い。武田氏一族を攻め滅ぼした合戦。別名「武田崩れ」とも呼ばれています。

①織田軍vs北条軍
②北条軍vs徳川軍
③武田軍vs徳川軍
④武田軍vs毛利軍
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正解:②

①上杉謙信
②伊達政宗
③武田信玄
④柴田勝家
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正解:②

①長野県
②AB型
③新潟県
④山梨県
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正解:①

解説:甲斐国(山梨県)の戦国大名・武田信玄と越後国(新潟県)の戦国大名・上杉謙信が、北信濃の支配権を巡った争い。1553年〜1564年までの間に計5回も戦われ、最後の第5次の戦いでは、にらみ合いだけで終り、結局勝敗の決着を付けずにこの戦は終了する。

①斎藤道三
②武田信玄
③織田信長
④上杉謙信
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正解:④

①がんりゅうがわ
②かみなががわ
③岐阜県
④かんながわ
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正解:④

解説:神流川の戦い(かんながわのたたかい)は、1582年7月5日〜7月8日に織田信長が本能寺の変によって死んだ後に織田方の滝川一益と北条氏直が争った戦い。戦国時間の中で関東地方で最も激しい野戦と言われている。

①毛利元就
②長宗我部元親
③蜂須賀家政
④小早川隆景
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正解:②

①ちょうそうかぶ げんしん
②ちょうそかべ もとちか
③かんりゅうがわ
④ながそかべ もとおや
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正解:②

①AB型
②B型
③O型
④ながそうかべ もとおや
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正解:①

①B型
②AB型
③A型
④A型
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正解:①

①O型
②落馬して顔面を強く打った
③天然痘を患った
④竹刀が当たった
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正解:③

①今川義元
②浅井長政
③松永久秀
④六角義賢
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正解:③

①弓が刺さった
②500人
③12000人
④3000人
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正解:④

解説:桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行われた合戦。今川軍の戦力・約25,000人に対して、織田軍の戦力は約3000人と言われています。織田軍の奇襲攻撃により、総大将の今川義元は戦死しました。

①大吉丸
②竹千代
③7500人
④信千代
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正解:吉法師

①愛
②毘
③義
④吉法師
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正解:②

①誠
②新潟県
③富山県
④石川県
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正解:④

①太閤記
②徳川実紀
③信長公記
④福井県
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正解:武功夜話

解説:遠藤周作氏著書の「男の一生」は戦国大名の前野長康が主人公ですが、伊勢湾台風で崩れた土蔵の中から発見された、「武功夜話」をベースに書かれたそうです。

①武功夜話
②美濃大垣城、島左近、蒲生郷舎、舞兵庫
③越前敦賀城、舞兵庫、島左近、蒲生郷舎
④近江佐和山城、島左近、舞兵庫、蒲生郷舎
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正解:④

①豊前小倉城、島左近、舞兵庫、蒲生郷舎
②筑前・筑後・肥前1郡の37万1300石 小早川秀秋
③肥後熊本18万6000石 加藤清正
④関八州255万石 徳川家康
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正解:②

①遠州掛川 65万石 山内一豊
②上杉 景勝
③宇喜多 秀家
④毛利 輝元
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正解:伊達 政宗

①伊達 政宗
②南部 晴政
③黒田 如水
④大友 宗隣
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正解:②

①松島
②長島
③蒲生 氏郷
④厳島
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正解:巌流島

解説:武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。

①滋賀の戦い
②巌流島
③京都の戦い
④山崎の戦い
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正解:④

①魚鱗の陣
②鶴翼の陣
③本能寺の戦い
④方円の陣
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正解:車掛の陣

①酒井忠次
②榊原康政
③井伊直政
④車掛の陣
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正解:本多正信

①本多正信
②毛利輝元
③毛利隆元
④小早川隆景
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正解:②

解説:毛利輝元は孫です。

①織田信長
②徳川家康
③豊臣秀吉
④豊臣秀長
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正解:②

解説:実の親は徳川家康。 のちに豊臣秀吉の養子になり、秀頼を弟のように可愛がったという。                                  家康に「もし豊臣を攻撃するようなことがあったら私は秀頼をかばって大阪城に入る」 とまで言ったそうだ。

①武田信玄
②吉川元春
③島津義弘
④毛利元就
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正解:④

①毛利家を挟んだ親戚
②真田家を挟んだ親戚
③上杉家を挟んだ親戚
④豊臣秀吉
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正解:②

解説:石田三成の妻と真田昌幸の妻は姉妹                                                                  本多忠勝の娘は徳川家康の養女になり真田信之へ嫁いだ

①大一次川中島合戦
②第五次川中島合戦
③第二次川中島合戦
④第三次川中島合戦
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正解:③

①前田秀継
②前田慶次
③前田安勝
④前田利家
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正解:③

①本田忠勝
②今川家を挟んだ親戚
③鬼小島彌太郎
④加藤清正
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正解:③

①大友宗鱗
②真柄直隆
③立花道雪
④高橋紹運
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正解:④

①徳川秀忠
②真田信之
③明智光秀
④成田氏長
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正解:②

①大浦為信
②戸沢盛安
③藤堂高虎
④南部晴政
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正解:②

①北信愛
②百姓
③刀鍛冶
④油売り
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正解:④

①最上義守
②石川高信
③大工
④北信愛
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正解:②

①九戸政実
②1591年
③1592年
④1593年
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正解:②

①1590年
②伊達氏
③安東氏
④大浦氏
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正解:南部氏

①摂津守
②大和守
③南部氏
④長門守
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正解:越前守

①筑後守
②但馬守
③河内守
④越前守
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正解:①

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以下のクイズは、日本史B センター試験レベルより、出題しております。
説明:センターで出る正誤判定です。高校レベルの日本史の、基礎知識の確認に使ってください。
①大型動物にかわりニホンシカやイノシシが多くなった。
②伊予守
③代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡がある。
④死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
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正解:④

解説:「アニミズム」は、縄文時代ではありますが、自然現象への崇拝を指します。この文は、国風文化期の「御霊信仰」を説明しています。

①菅原道真が左遷された。
②意見封時十二箇条が出された。
③集団内の身分の上下関係や貧富の差はなかったと考えられる。
④応天門の変が起こった。
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正解:④

解説:応天門の変は、藤原良房が正式に摂政となった866年、つまり清和天皇の在位期の出来事です。伴善男が伊豆に流されました。

①度会家行は神本仏迹説をとなえ、伊勢神道を創始した。
②商品の輸送にあたる馬借や、高利貸業者の借上がいた。
③承久の乱後、朝廷監視のために六波羅探題が設置された。
④唐が滅亡した。
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正解:②

解説:「馬借」は室町時代の運送業者です。「問丸」に変えれば正文になります。

①杉田玄白
②執権北条貞時のとき、永仁の徳政令で御家人所領の売買が禁止された。
③稲村三伯
④山崎闇斎
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正解:③

解説:最初の蘭日辞書は「ハルマ和解」です。

①アジア市場への生糸輸出で大幅な貿易超過となり、好景気になった。
②第二次護憲運動の結果、第一次加藤高明内閣が成立した。
③新井白石
④西田幾多郎は、「善の研究」を著して独自の哲学体系を打ち立てた。
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正解:①

解説:第一次大戦期には、アジア市場へは綿糸、アメリカ市場へは生糸を輸出していました。

①『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記された。
②2月1日に予定されていたゼネラル=ストライキが中止された。
③シーメンス事件の発覚により、第一次山本権兵衛内閣は退陣した。
④下山事件などの怪事件が続発し、労働運動は打撃を受けた。
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正解:①

解説:「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書に記されたものです。すでに日本は、1952年に独立を回復しています。 ゼネスト計画の中止…1947年 湯川秀樹ノーベル賞…1949年 下山事件、三鷹事件、松川事件…1949年の7月~8月

①所領裁断には、天皇の綸旨が必要だとする法令を出した。
②東北地方には陸奥将軍府、関東地方には鎌倉将軍府をおいた。
③「二条河原落書」は、この政治を風刺したものである。
④湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した。
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正解:建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。

解説:「建武式目」は足利尊氏によって出されたものです。「建武」がついているので間違いやすいです。

①下関条約で、日本は莫大な賠償金とともに台湾を獲得した。
②建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。
③日中共同声明により、台湾の国民政府との国交は断絶した。
④留学生であった阿倍仲麻呂は、唐の地で客死した。
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正解:日明貿易では主に、日本は銅を輸出し、木綿や絹織物を輸入した。

解説:木綿を輸入したのは日朝貿易です。日明貿易では銅銭、生糸、絹織物が輸入されました。

①張作霖爆殺事件の調査を行った。
②日明貿易では主に、日本は銅を輸出し、木綿や絹織物を輸入した。
③調査団の報告の結果、日本は国際連合を脱退した。
④調査を行ったときの首相は、広田弘毅である。
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正解:この調査の後、二・二六事件が起こった。

解説:二・二六事件は1936年 ×張作霖爆殺事件→満州事変 ×広田弘毅→斎藤実 ×国際連合→国際連盟

①清和天皇のときに雑徭の日数が半減された。
②治部省は主に外交や仏事を担った。
③この調査の後、二・二六事件が起こった。
④女性が納める税は男性の三分の一にあたる租のみだった。
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正解:②

解説:×南海道→西海道 ×清和天皇→桓武天皇 ×男性の三分の一 →三分の二

①正徳の治では、海舶互市新例(長崎新令)により貿易制限がなされた。
②大宰府は南海道の行政を行った。
③日露和親条約により、択捉島は日本領と定められた。
④ポルトガル商人の利益独占排除のため、糸割符制度が設けられた。
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正解:蛮社の獄では、フェートン号事件の対応を批判した人物が処罰された。

解説:×フェートン号事件→モリソン号事件

①A:延喜 B:時忠
②蛮社の獄では、フェートン号事件の対応を批判した人物が処罰された。
③A:延喜 B:清盛
④A:延久 B:清盛
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正解:A:延久 B:時忠

解説:A 後三条(天皇)とあるので、延久の荘園整理令で記録所が設置された時のことだと分かります。

①北条時頼により三浦泰村一族が滅ぼされた。
②赤松満祐によって足利義教が殺害された。
③「六分の一衆」と呼ばれた山名氏清が滅ぼされた。
④加賀の一向宗徒らが加賀国守護の富樫政親を倒した。
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正解:②

解説:宝治合戦(三浦泰村)→明徳の乱(山名氏清)→嘉吉の変(足利義教)→加賀の一向一揆(富樫政親)

①街道近辺の村では、交通に馬などを差し出す伝馬役が課せられた。
②A:延久 B:時忠
③村内には、田畑をもたない水呑百姓が存在した。
④田植えや脱穀に際して行われた村内での共同作業は、結と呼ばれた。
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正解:犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。

解説:×村請制→五人組

①四大公害訴訟は、いずれも被害者側が勝訴した。
②犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
③生活様式の画一化により、中流意識が広まった。
④1960年代後半には、いわゆる3Cの普及率が上昇した。
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正解:コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。

解説:工場の自動化は、第二次石油危機後の1980年頃に進みました。

①コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。
②醍醐天皇の命で、最初の勅撰和歌集の「古今和歌集」が編纂された。
③地方での生活を描いた「土佐日記」が、菅原孝標の女によって著された。
④紫式部によって、宮廷生活を題材とした「源氏物語」が著された。
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正解:③

解説:×菅原孝標の女→紀貫之 菅原孝標の女といえば「更級日記」です。

①自らの結婚生活を描いた「蜻蛉日記」が藤原道綱の母によって著された。
②藤原氏は勧学院を設け、一族の子弟の教育の場とした。
③漢詩文が流行し、「懐風藻」などの勅撰漢詩集が編纂された。
④仏像彫刻には、翻波式とよばれる表現技法が用いられた。
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正解:③

解説:「懐風藻」は勅撰ではありませんし、奈良時代に成立したものです。(天平文化に属する)