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 一問一答クイズ [No.23741]
  戦国時代検定 より  日本の歴史クイズ!戦国時代(安土桃山時代)の出題をします。戦国武将、戦(いくさ)、年表、エピソードなど、戦国のことなら、何でも出題します。みなさんも戦いにご参加ください。
問題 別名「夜叉九郎」と呼ばれた人物は誰
  1. 南部晴政
  2. 北信愛
  3. 戸沢盛安
  4. 大浦為信
   
制限時間 : 無制限
難易度 難問
出題数 8997人中
正解数 3379人
正解率 37.56%正解率
作成者 ヒッサツ (ID:12316)
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①羽柴秀吉
②北信愛
③織田信忠
④柴田勝家
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正解:③

解説:武田征伐(たけだせいばつ)は、長篠の戦い以降に勢力が衰えた武田家の領地(駿河・信濃・甲斐)へ侵攻した戦い。武田氏一族を攻め滅ぼした合戦。別名「武田崩れ」とも呼ばれています。

①北条軍vs徳川軍
②織田軍vs北条軍
③武田軍vs徳川軍
④織田信長
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正解:①

①柴田勝家
②伊達政宗
③武田信玄
④武田軍vs毛利軍
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正解:②

①上杉謙信
②岐阜県
③長野県
④新潟県
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正解:③

解説:甲斐国(山梨県)の戦国大名・武田信玄と越後国(新潟県)の戦国大名・上杉謙信が、北信濃の支配権を巡った争い。1553年〜1564年までの間に計5回も戦われ、最後の第5次の戦いでは、にらみ合いだけで終り、結局勝敗の決着を付けずにこの戦は終了する。

①斎藤道三
②上杉謙信
③武田信玄
④山梨県
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正解:②

①かみなががわ
②がんりゅうがわ
③織田信長
④かんりゅうがわ
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正解:かんながわ

解説:神流川の戦い(かんながわのたたかい)は、1582年7月5日〜7月8日に織田信長が本能寺の変によって死んだ後に織田方の滝川一益と北条氏直が争った戦い。戦国時間の中で関東地方で最も激しい野戦と言われている。

①小早川隆景
②かんながわ
③毛利元就
④蜂須賀家政
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正解:長宗我部元親

①ながそかべ もとおや
②ながそうかべ もとおや
③ちょうそうかぶ げんしん
④ちょうそかべ もとちか
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正解:④

①A型
②長宗我部元親
③AB型
④O型
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正解:③

①B型
②O型
③AB型
④A型
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正解:②

①A型
②O型
③AB型
④B型
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正解:④

①B型
②弓が刺さった
③落馬して顔面を強く打った
④竹刀が当たった
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正解:天然痘を患った

①六角義賢
②天然痘を患った
③浅井長政
④今川義元
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正解:松永久秀

①500人
②12000人
③3000人
④7500人
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正解:③

解説:桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行われた合戦。今川軍の戦力・約25,000人に対して、織田軍の戦力は約3000人と言われています。織田軍の奇襲攻撃により、総大将の今川義元は戦死しました。

①松永久秀
②信千代
③吉法師
④大吉丸
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正解:③

①愛
②毘
③義
④竹千代
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正解:②

①福井県
②石川県
③誠
④新潟県
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正解:②

①富山県
②信長公記
③武功夜話
④徳川実紀
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正解:③

解説:遠藤周作氏著書の「男の一生」は戦国大名の前野長康が主人公ですが、伊勢湾台風で崩れた土蔵の中から発見された、「武功夜話」をベースに書かれたそうです。

①近江佐和山城、島左近、舞兵庫、蒲生郷舎
②越前敦賀城、舞兵庫、島左近、蒲生郷舎
③太閤記
④豊前小倉城、島左近、舞兵庫、蒲生郷舎
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正解:①

①肥後熊本18万6000石 加藤清正
②筑前・筑後・肥前1郡の37万1300石 小早川秀秋
③美濃大垣城、島左近、蒲生郷舎、舞兵庫
④遠州掛川 65万石 山内一豊
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正解:②

①上杉 景勝
②伊達 政宗
③宇喜多 秀家
④関八州255万石 徳川家康
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正解:②

①大友 宗隣
②南部 晴政
③黒田 如水
④蒲生 氏郷
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正解:②

①松島
②巌流島
③長島
④毛利 輝元
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正解:②

解説:武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。

①厳島
②山崎の戦い
③本能寺の戦い
④京都の戦い
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正解:②

①滋賀の戦い
②車掛の陣
③鶴翼の陣
④魚鱗の陣
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正解:②

①井伊直政
②本多正信
③榊原康政
④酒井忠次
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正解:②

①小早川隆景
②吉川元春
③毛利隆元
④方円の陣
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正解:毛利輝元

解説:毛利輝元は孫です。

①毛利輝元
②織田信長
③豊臣秀長
④豊臣秀吉
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正解:徳川家康

解説:実の親は徳川家康。 のちに豊臣秀吉の養子になり、秀頼を弟のように可愛がったという。                                  家康に「もし豊臣を攻撃するようなことがあったら私は秀頼をかばって大阪城に入る」 とまで言ったそうだ。

①毛利元就
②豊臣秀吉
③武田信玄
④徳川家康
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正解:①

①島津義弘
②毛利家を挟んだ親戚
③今川家を挟んだ親戚
④上杉家を挟んだ親戚
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正解:真田家を挟んだ親戚

解説:石田三成の妻と真田昌幸の妻は姉妹                                                                  本多忠勝の娘は徳川家康の養女になり真田信之へ嫁いだ

①第二次川中島合戦
②第五次川中島合戦
③大一次川中島合戦
④第三次川中島合戦
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正解:①

①前田安勝
②真田家を挟んだ親戚
③前田利家
④前田秀継
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正解:①

①真柄直隆
②本田忠勝
③加藤清正
④前田慶次
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正解:鬼小島彌太郎

①藤堂高虎
②立花道雪
③鬼小島彌太郎
④高橋紹運
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正解:④

①明智光秀
②成田氏長
③真田信之
④大友宗鱗
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正解:③

①油売り
②大工
③百姓
④刀鍛冶
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正解:①

①北信愛
②最上義守
③九戸政実
④徳川秀忠
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正解:石川高信

①石川高信
②1593年
③1591年
④1592年
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正解:③

①伊達氏
②大浦氏
③1590年
④南部氏
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正解:④

①摂津守
②長門守
③安東氏
④越前守
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正解:④

①但馬守
②伊予守
③筑後守
④大和守
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正解:③

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以下のクイズは、日本史B センター試験レベルより、出題しております。
説明:センターで出る正誤判定です。高校レベルの日本史の、基礎知識の確認に使ってください。
①大型動物にかわりニホンシカやイノシシが多くなった。
②河内守
③代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡がある。
④集団内の身分の上下関係や貧富の差はなかったと考えられる。
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正解:死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。

解説:「アニミズム」は、縄文時代ではありますが、自然現象への崇拝を指します。この文は、国風文化期の「御霊信仰」を説明しています。

①死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
②意見封時十二箇条が出された。
③菅原道真が左遷された。
④唐が滅亡した。
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正解:応天門の変が起こった。

解説:応天門の変は、藤原良房が正式に摂政となった866年、つまり清和天皇の在位期の出来事です。伴善男が伊豆に流されました。

①商品の輸送にあたる馬借や、高利貸業者の借上がいた。
②執権北条貞時のとき、永仁の徳政令で御家人所領の売買が禁止された。
③応天門の変が起こった。
④度会家行は神本仏迹説をとなえ、伊勢神道を創始した。
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正解:①

解説:「馬借」は室町時代の運送業者です。「問丸」に変えれば正文になります。

①杉田玄白
②新井白石
③承久の乱後、朝廷監視のために六波羅探題が設置された。
④稲村三伯
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正解:④

解説:最初の蘭日辞書は「ハルマ和解」です。

①西田幾多郎は、「善の研究」を著して独自の哲学体系を打ち立てた。
②山崎闇斎
③第二次護憲運動の結果、第一次加藤高明内閣が成立した。
④アジア市場への生糸輸出で大幅な貿易超過となり、好景気になった。
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正解:④

解説:第一次大戦期には、アジア市場へは綿糸、アメリカ市場へは生糸を輸出していました。

①下山事件などの怪事件が続発し、労働運動は打撃を受けた。
②2月1日に予定されていたゼネラル=ストライキが中止された。
③『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記された。
④湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した。
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正解:③

解説:「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書に記されたものです。すでに日本は、1952年に独立を回復しています。 ゼネスト計画の中止…1947年 湯川秀樹ノーベル賞…1949年 下山事件、三鷹事件、松川事件…1949年の7月~8月

①東北地方には陸奥将軍府、関東地方には鎌倉将軍府をおいた。
②建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。
③「二条河原落書」は、この政治を風刺したものである。
④所領裁断には、天皇の綸旨が必要だとする法令を出した。
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正解:②

解説:「建武式目」は足利尊氏によって出されたものです。「建武」がついているので間違いやすいです。

①日明貿易では主に、日本は銅を輸出し、木綿や絹織物を輸入した。
②下関条約で、日本は莫大な賠償金とともに台湾を獲得した。
③シーメンス事件の発覚により、第一次山本権兵衛内閣は退陣した。
④留学生であった阿倍仲麻呂は、唐の地で客死した。
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正解:①

解説:木綿を輸入したのは日朝貿易です。日明貿易では銅銭、生糸、絹織物が輸入されました。

①張作霖爆殺事件の調査を行った。
②調査団の報告の結果、日本は国際連合を脱退した。
③日中共同声明により、台湾の国民政府との国交は断絶した。
④調査を行ったときの首相は、広田弘毅である。
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正解:この調査の後、二・二六事件が起こった。

解説:二・二六事件は1936年 ×張作霖爆殺事件→満州事変 ×広田弘毅→斎藤実 ×国際連合→国際連盟

①大宰府は南海道の行政を行った。
②治部省は主に外交や仏事を担った。
③この調査の後、二・二六事件が起こった。
④女性が納める税は男性の三分の一にあたる租のみだった。
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正解:②

解説:×南海道→西海道 ×清和天皇→桓武天皇 ×男性の三分の一 →三分の二

①清和天皇のときに雑徭の日数が半減された。
②日露和親条約により、択捉島は日本領と定められた。
③ポルトガル商人の利益独占排除のため、糸割符制度が設けられた。
④蛮社の獄では、フェートン号事件の対応を批判した人物が処罰された。
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正解:④

解説:×フェートン号事件→モリソン号事件

①A:延久 B:時忠
②A:延喜 B:清盛
③A:延久 B:清盛
④A:延喜 B:時忠
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正解:①

解説:A 後三条(天皇)とあるので、延久の荘園整理令で記録所が設置された時のことだと分かります。

①正徳の治では、海舶互市新例(長崎新令)により貿易制限がなされた。
②赤松満祐によって足利義教が殺害された。
③北条時頼により三浦泰村一族が滅ぼされた。
④加賀の一向宗徒らが加賀国守護の富樫政親を倒した。
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正解:②

解説:宝治合戦(三浦泰村)→明徳の乱(山名氏清)→嘉吉の変(足利義教)→加賀の一向一揆(富樫政親)

①犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
②田植えや脱穀に際して行われた村内での共同作業は、結と呼ばれた。
③街道近辺の村では、交通に馬などを差し出す伝馬役が課せられた。
④「六分の一衆」と呼ばれた山名氏清が滅ぼされた。
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正解:①

解説:×村請制→五人組

①生活様式の画一化により、中流意識が広まった。
②コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。
③村内には、田畑をもたない水呑百姓が存在した。
④1960年代後半には、いわゆる3Cの普及率が上昇した。
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正解:②

解説:工場の自動化は、第二次石油危機後の1980年頃に進みました。

①四大公害訴訟は、いずれも被害者側が勝訴した。
②紫式部によって、宮廷生活を題材とした「源氏物語」が著された。
③自らの結婚生活を描いた「蜻蛉日記」が藤原道綱の母によって著された。
④地方での生活を描いた「土佐日記」が、菅原孝標の女によって著された。
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正解:④

解説:×菅原孝標の女→紀貫之 菅原孝標の女といえば「更級日記」です。

①仏像彫刻には、翻波式とよばれる表現技法が用いられた。
②醍醐天皇の命で、最初の勅撰和歌集の「古今和歌集」が編纂された。
③漢詩文が流行し、「懐風藻」などの勅撰漢詩集が編纂された。
④嵯峨天皇や空海らは唐風の書の名手として知られ、のち三筆とよばれた。
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正解:③

解説:「懐風藻」は勅撰ではありませんし、奈良時代に成立したものです。(天平文化に属する)