一問一答クイズ [No.41331] | |
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日本史年検定 初級 より 日本史の様々な出来事が何年に起きたかについてのクイズです。簡単だと思います。指摘がありましたらお願いいたします。 | |
天下分け目の合戦関ケ原の戦い、何年? | |
制限時間 : 無制限 | いやー、覚えやすーい |
難易度 | |
出題数 | 462人中 |
正解数 | 415人 |
正解率 | 89.83% |
作成者 | 八重雲 (ID:17224) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:②
解説:皆さんも知ってると思いますが、イチゴパンツ(1582)ですね。 本当ならちょっとひきますね。
正解:②
解説:鳴くよ(794)うぐいす平安京です。ちなみにうぐいすは漢字で「鶯」です。 かっこいいですね。 平安京と平城京。ややこしいけど覚えておきましょう。
正解:1945
解説:遠く死後考え(1945)た終戦です。 日本人なら覚えておきたいですね。玉音放送は8月15日です。
正解:①
正解:①
解説:9代目将軍を決めるための戦いです。 8代目義政の弟と息子、結局どちらが将軍になったか知っていますか? じつは息子の義尚が9代目将軍となっています。 どうでもいいですね。
正解:1543
解説:以後資産(1543)増える鉄砲戦術。 鉄砲は高いけど、新たな戦術を生み出し歴史をつくった… 外国人も日本史をつくっているのですね。
正解:②
解説:真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の家臣のことです。小説など登場していますが、人物は実在と架空がおります。
正解:①
解説:真田幸村(信繁)の旗印である六文銭(ろくもんせん)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる冥銭(めいせん)を表しているといわれています。この六文は三途の川の渡し賃となるようです。ちなみに永楽通宝(えいらくつうほう)は、織田信長です。
正解:①
解説:本名は真田源次郎信繁 (さなだげんじろうのぶしげ)です。真田幸村(さなだ ゆきむら)という名前は、彼の死後に小説などの作品で使われた名前です。
正解:②
正解:③
解説:真田幸村(信繁)の父・真田昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて生きた武将です。信濃国の上田城での上田合戦(うえだかっせん)では、2度にわたって徳川軍を撃退したことで有名です。
正解:和歌山県
解説:九度山(くどやま)は、和歌山県北部に位置する町。関ケ原の合戦で敗れて、九度山に蟄居させられます。この町には伝説といわれる「真田のぬけ穴」などがあり、真田親子とのつながりの深い場所です。
正解:①
解説:幸村(信繁)は、豊臣秀頼の参戦依頼を受けて、大坂冬の陣に出兵します。この時、使者は黄金200枚、銀30貫を持参したといわれています。
正解:②
解説:「真田の赤備え(あかぞなえ)」といわれ、真田軍は赤の鎧(よろい)で統一しました。
正解:③
正解:真田三代記