一問一答クイズ [No.12548] | |
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明治時代なんでも検定 より 明治時代の出来事・事件や人々の暮らしなど、明治時代のことなら何でも出題します。皆さんのチャンレンジ・出題をお願いします! | |
1869年(明治2年)5月9日、横浜の馬車道通りに「氷水屋」を開業、国内で初めてのアイスクリームを売り出しました。その時の商品名は何というでしょうか? | |
制限時間 : 無制限 | ノーヒント! |
難易度 | |
出題数 | 2570人中 |
正解数 | 1596人 |
正解率 | 62.1% |
作成者 | ゼファー (ID:144) |
最高連続正解数 | 0 問 |
現在の連続記録 | 0 問 ※ユーザーの方は記録が更新されます |
正解:③
解説:1872年(明治5年)10月14日、日本で初めて鉄道「新橋〜横浜間」の29kmが開通しました。片道を53分をかけて走ったそうです。ちなみに片道運賃は35銭5厘、現在のお金に換算すると4500円くらいだそうです。
正解:②
解説:明治5年(1874年)に出版された「西洋料理指南」という本に書かれているカレーライスのレシピが日本最古といわれています。作り方は現在とあまり変わらないようですが、カエルの肉を鍋に入れると書かれています。ぜひ、お試しを!
正解:①
正解:東京都千代田区内幸町
正解:①
解説:「ハイカラ」の語源は、明治時代の男子の服装で流行した高い襟(えり)のシャツに由来します。ちなみに高い襟(えり)を英語でハイカラー(high collar)といいます。意味は西洋風の身なり、生活様式をすること(また、その人)。また新しくオシャレなことを意味します。
正解:①
解説:馬車鉄道とは、馬が線路の上を走る車を引く鉄道です。1882年(明治15年)6月25日に東京馬車鉄道が開業されました。区間は日本橋−新橋までで運賃が2銭〜3銭と安くかったようです。乗車方法も手を上げて、タクシーのように乗ることができました。しかし、馬の糞尿や餌の問題に加えて、電車が普及したために次第の姿をけしていきました。
正解:①
正解:③
正解:④
正解:③
解説:1884年(明治17年)6月12日、日本最初のバザーは「婦人慈善会」という名で東京・日比谷の鹿鳴館で開かれました。売り物は手工芸品や喫茶、食堂の飲食サービスなどでを行い、3日間の入場者は1万2千人ありました。ちなみに売り上げた8000円(当時の金額)は有志共立東京病院へ全額寄付したそうです。
正解:①
解説:真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の家臣のことです。小説など登場していますが、人物は実在と架空がおります。
正解:②
解説:真田幸村(信繁)の旗印である六文銭(ろくもんせん)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる冥銭(めいせん)を表しているといわれています。この六文は三途の川の渡し賃となるようです。ちなみに永楽通宝(えいらくつうほう)は、織田信長です。
正解:③
解説:本名は真田源次郎信繁 (さなだげんじろうのぶしげ)です。真田幸村(さなだ ゆきむら)という名前は、彼の死後に小説などの作品で使われた名前です。
正解:弁丸
正解:②
解説:真田幸村(信繁)の父・真田昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて生きた武将です。信濃国の上田城での上田合戦(うえだかっせん)では、2度にわたって徳川軍を撃退したことで有名です。
正解:④
解説:九度山(くどやま)は、和歌山県北部に位置する町。関ケ原の合戦で敗れて、九度山に蟄居させられます。この町には伝説といわれる「真田のぬけ穴」などがあり、真田親子とのつながりの深い場所です。
正解:③
解説:幸村(信繁)は、豊臣秀頼の参戦依頼を受けて、大坂冬の陣に出兵します。この時、使者は黄金200枚、銀30貫を持参したといわれています。
正解:③
解説:「真田の赤備え(あかぞなえ)」といわれ、真田軍は赤の鎧(よろい)で統一しました。
正解:②
正解:真田三代記